新学期を迎えた途端にコロナの関係で学校は大混乱、
三男の不登校や入学したての長男と娘の対応、
受験生になった次男がメンタルはだだ崩れ、
そこに来て予想外の大雨被害…(幸いうちの周辺は大丈夫でした)
イシゲ家、大波乱の4〜7月を過ごしているところです。
今日は娘との会話の中でふと考えた「居場所」のこと。
塾に行こっかな、な娘さん
中学生になって多くの子が部活に入る中、習い事を継続して部活には入らないことを選んだ娘。
最初の定期テストの結果が思ったよりよかったこともあり、もっと上を目指したい気持ちも出て来たようで。
そんな娘に塾に行ってもいいんじゃな〜いと勧めたりしていました。
塾を勧めたのは成績を上げるため、ではありません。
部活に入らなかった娘にとって、居場所がもうひとつ増えてほしいなぁと思ったから。
家と学校以外の「居場所」
自分の学生時代を思い返したとき、塾のあの家とも学校とも違う不思議な場所に随分助けられたように思うんですね。
進学と同時に塾をやめた途端、それまで自分のホームだった場所がひとつ無くなったような喪失感があったような覚えがあります。
例えば卒業した小学校の職員室が総入れ替えになって自分のいた頃とガラッと変わってしまったり、住んでいたアパートを引き払った後に再び訪れたときに違う人が住んでいるのを見たりしたときの、あのなんともいえないさみしい感じ。
自分の居場所がそこにあったんだな、と、失って改めて身に沁みるような、そんな感じ。
習い事をやっている娘にとってお教室やレッスン場はひとつの居場所ではあるけれど、自分のレッスンの時間にしか立ち寄らない場所なのでちょっと居場所としては心もとない。
塾という、行ける場所がもうひとつ増えるのは彼女にとってのホームをひとつ増やすことになるだろうな〜と思ったりしたのです。
私の「居場所」はいくつあるだろう
塾の提案をした数日後のお休みの昼下がり。
三男をサッカー教室に送った帰りに、お茶でもしよっか、と娘とふたり、馴染みのカフェに立ち寄りました。
コロナの影響で長くお休みをしていたから久しぶりに行ったのだけれど、顔を出したら狭い店内にお友達や顔見知りがずらりいて、マスターも一緒にあれこれおしゃべりをして。
煎れたてのコーヒーを楽しみながら娘に、居場所としての塾のお話を少し。
話しながら、あぁここも私の居場所のひとつだよなぁ、と思ったり。
学校や塾のなくなったいまの私にとっての居場所ってどこだろう、とぼんやり考える。
家と、職場と…あぁ、思えばそうたくさんはないかもしれない。
次男が通級指導教室に通っていた頃、週に1回入れるそこは私にとってゆっくり過ごして次男のことを思う存分話せる大事な居場所だった。あそこがなかったら今の私はないと思うほど。
それがなくなって今、家以外に落ち着ける場所、ほかにどこがあるだろう。
安心してそこにいられる場所、居場所。
それが少なくなればなるほど、息をするのが苦しくなる気がする。
たくさんキープしておくと、生きやすい気がする。
思い返してみたら今、あんまり居場所がないかもしれない。
自分のメンタルを維持するためにはもうちょっと頑張って居場所、増やしとくほうが良さそうだなぁ…
おまけ 三男の新しい「居場所」
学校との話し合いがうまくいかず、完全に不登校状態になってしまった三男さん。
紹介された適応指導教室に体験に行くことになりました。
見学に行ったときに先生が話してくれた中で印象に残ったのは
「この教室の一番の目的は『居場所作り』です」
という言葉。
あぁ、ここが彼のホームのひとつになるとしたら、それは彼にとっての大きな支えになるんだろうなぁとお話を伺いながら思いました。
居場所、意図してどんどん増やせるものでもないとは思うけれど、少なくなりすぎるのはやっぱりしんどい。
Twitterも自分にとっての大事な居場所だからつい覗いちゃうのかもしれないなぁ…
あぁそうか、今朝いくつかツイートしたオンラインサロン構想、サロンというのもバーチャル空間に自分の居場所を作ることになるのかもしれないね。
そういう居場所づくりのお手伝いができるかもしれないんだなぁ。
うん、ちょっと本腰入れて考えてみたくなったかもしれない。
今日はここまで〜。