スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「子供の話を聞く」ことの難しさを痛感した話。


相変わらず更新が不定期なブログですいません。

2学期に入ったイシゲ家…

次男くんは1学期の大騒動を経て本人も学校も対応が馴染んできたらしく「学校が楽しくなってきた!」と意気揚々と高校に通っています。

三男くんは去年の不登校が嘘のように毎日元気に通学し、なんやかんやありつつもお友達とも先生方とも比較的スムーズに学校生活を送っているようです。

そんなふたりの落ち着きと反比例して持ち崩した長女のケアに全力を注ぎつつ、相変わらずあたふたしている毎日です。

 

 

さて、今日ブログのことを思い出したのは少し前に三男との間で面白いエピソードがあったから。

運動会の練習がピークを迎えていた彼に起こったトラブルにまつわるお話です。

 

 

赤白帽がない!

コロナ禍で縮小されることになった三男くんの運動会。

昨年度は登校できていなかった時期の開催でもあり、運動会には参加できませんでした。

動くことも目立つこともバッチこいな彼にとっては運動会は登校再開後に楽しみにしていた行事のひとつ。応援団に参加したり、下級生のフォローをしたり、文字通り満喫していた様子でした。

 

そんな運動会の少し前、小さなトラブルが起こりました。

三男が持ち帰った体操服一式を洗濯しようとしたら赤白帽が見当たりません。

「そうなんだよ、学校で無くなったんだよ!」と、三男。

事情を尋ねると彼の説明が始まりました…

 

一生懸命話すのをとりあえず聞きました。

時間にして5分くらいでしょうか。

彼が自分の赤白帽が見当たらなくなった経緯を一方的にババーーーっと話してくれるのをとりあえず聞きました。

 

その話を聞いて私の脳裏に浮かんだ情景はこちら。

 

運動会の練習後に教室の水筒の上に帽子を置いておいたのだけど別の用事があって一旦その場を離れた後に戻ったら無くなっていた。

 

三男に「これでいい?」って聞いたらちょっと変な顔をしています。

「伝わってない」と思っているんだろうなぁ…

 

話を引き出す作業に入りました。

「キミの話を一方的に聞くだけだと正確なことが掴めないので、詳しいお話を聞かせてもらって良いですかね」

と前置きをして、話を引き出す作業に入りました。

 

私「まず、水筒の上と言ったけど水筒があったのはどこ」

三「椅子の横」

私「椅子というのは教室の椅子?」

三「運動会の練習だから教室なわけないやろ?」

私「うん、まずそこから私にはわからないから聞かせて欲しいのね、椅子は教室じゃないならグラウンド?練習の時に児童席に持っていってたの?」

三「そう」

私「じゃあ、運動会の練習の時に児童テントのところに持っていっていた自分の椅子の横に水筒を置いていたんだね」

三「そう」

私「その水筒の上に帽子を置いたのは、練習のどの段階?」

三「応援合戦の練習が終わったとき」

私「それから片付けまでの間に帽子には触ってないの?」

三「いや、途中で喉が渇いた時にどかして水筒を取った」

私「その時に帽子は?」

三「横に置いた、砂の上」

 

ここまでの段階で既に、最初に聞いた話と状況が全く異なっていることがわかると思います。

最初の話で「教室の水筒」と私が思い込んでいたのは「グラウンドの児童席の横の水筒」で、帽子は「ずっと水筒の上にあった」のではなく「飲む時に本人が横に置いている」のですね。

 

こんな感じで話を引き出し引き出し聞いた結果、最終的に本人が納得した状況はこちらです。

 

運動会の練習中にグラウンド児童テント内の自分の椅子の横に置いた水筒の上に赤白帽を置いていたが、途中で水筒を手に取る時に地面に置いた。

その後触ったかどうかは記憶がない。

 

練習が全て終わって、いろんな道具と一緒に椅子と水筒を抱えて校舎へ向かい、途中で低学年の子の荷物が落ちているのを見つけたから一旦引き返してそれを一緒に持って移動し、校舎の手前でその子の担任が気がついてそれを引き取ってくれた。

その後、校舎に入り持っていた荷物の片付けをした。

この間帽子をどうしたか記憶にない。

 

教室に戻って別の子達が帽子を手にしているのに気づいて「あれ僕の帽子は」と初めて気がついて、児童席に戻ったが見当たらなかった。

 

最初の話を聞いた時に思い浮かべたのと全然違う結果に、自分でもかなり驚きました。

 

なんでこんなに違ってたんだろう。

まず思い浮かべた情景が教室だったのは、彼が言う「水筒」と言う単語で私が思い浮かべたのがいつも学校で水筒を置いているロッカー上の水筒入れの情景だったことが敗因のようです。

思い返せば三男は水筒がどこにあったかは、最初の話では一言も言っていませんでした。

 

三男の話始めの段階で教室を思い浮かべながら聞いてしまったこと

彼が自分の視点からのことを一方的にバーッと話した言葉足らずの内容を、自分の脳内で補足しながら聞いたこと

 

この辺りが現実との乖離の大きな要因だったんだろうなと思います。

 

ちなみに、後半の聞き取り作業には間で色々ありつつでしたが約1時間くらいの時間を要しています。

たったそれだけの事案を小学生から正確に引き出すために1時間もかかってしまったんですね。

 

最初の話と聞き出した後の正確な話を並べてみたら、三男に対して

「どうしてこんな現実があの話になっちゃうの!?」

と感じるかもしれません。

 

でも本人は嘘をつくつもりも、自分のミスを隠すつもりもなかったと思います。

自分の非を多少なり軽くしたいというのは無意識ではあるけれどあったかもしれないなぁとは思いますが。

 

子供は語彙が大人よりも乏しく、視野も狭いため、どうしても状況を言語化するときに全体像が伝わるような話し方ができない。

そして大人の側はその拙い話に自分なりの情報を補完しながら脳内で納得のいくストーリーを作り上げるんですね。

 

その結果、短時間で子供の話を聞いてしまうとこんなふうに「実際に起こったこととは全然違う話」が作り上がってしまうことがある。

 

「子供の話を聞く」行為の難しさ。

私が「子供の話を鵜呑みにすると怖い」と常々思っているのはこんなことが実際に起こるから。

この現象、子供同士のトラブルの仲裁をしていると本当によく起こります。

 

揉めた2人とそれを見ていた周りの3人の計5人の話が5通りに違う、なんていうことも年齢が低いとザラにあります。

(高学年になるとそこに自己防衛や忖度が入ってくるので余計にややこしい。)

 

5人がそれぞれの拙さで話をし、聞いた5人の大人がそれぞれの脳内補完でストーリーを作り上げてしまうからどんどん現状から離れていくんですね。

親同士で話がこじれている時は大抵こんな背景が悪さをしてたりするなぁと思います。

 

おわりに

今回三男が無くしたのはすぐ買い直せるもので、別に出てこなくても大して困らない程度のもの。

だから私もこんなに長い時間をかけて聞き取りをする必要もなかったのかなぁとあとになって思ったんですが、その違いがあまりにも顕著だったので備忘録として書き残しておこうかなぁと思った次第です。

 

これが複数人が絡んだ揉め事の状況把握になってくるとその難易度は桁違いに上がってきますよね…

 

子供の話をじっくり聞こうとするとき、やっぱり「子どもが聴いてくれる話し方 話してくれる聴き方大全」で学んだスキルは大きく役に立っています。

アレントメンターの講習で学んだ傾聴の難しさと合わせて、聞く(聴く)って本当に難しいなぁとあらためて思わされたエピソードでした。

 

 

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