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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

NHK「大心理学実験」と「空気を読めない(読まない)私」


元旦に放送されたNHKの「大心理学実験」という特番をやっと見まして。

リンゲルマンの「社会的手抜き」、ケリーの「印象形成」、アッシュの「同調」の3つの心理学者による研究の実験をやってみよう、というもの。

細かい内容について解説されているサイトを見つけました。(参考:NHK「大心理学実験」関連情報 - 日本社会心理学会 広報委員会

 

3つともそれぞれに面白いものだったのですが、そのうちの最後の「同調」についての実験から考えたことを。

 

(放送された実験の内容)
男女9名が一部屋に集められる.うち8名はサクラ.1名だけが何も知らない「真の実験参加者」(デセプション).アッシュの実験と同様に線分の長さを順に答えてもらう.
1回目はサクラも全員正解を答える.しかし2回目からは,サクラは全員「同じ」「誤答」をする.真の実験参加者は8番目に答える.
その他にもいろいろなパターンの課題を順に答えさせた.
 
→最初の実験参加者は,9問中7問で誤答に同調してしまった.同様に「真の実験参加者」7名で実験したが,1問でも同調した人は5名いた.
 
しかし,同じ9名集団による実験で,1人だけでも「同調しない」人が出現するとどうなるか?
 
→先ほどの実験で9問中7問も同調してしまった彼も,他の7名に同調せず,「自分の思う」「正解」を言えた.
 
デブリーフィング(実験終了後に真の目的を伝えること)で他の8名がサクラだったと聞かされた実験参加者.驚きつつも「自分の思うことを言っていいのか悪いのか戸惑い,他のみんながどこかに言ってしまいそうな感覚に陥った」と告白.違う意見の人もいる,ということがわかる状況だと自分の意見も言っていいんだな,と思えたそうです.
 
→「空気を読む」同調行動は集団を維持するためにはある意味自然な行動.しかし時には長いものにも巻かれないことも大事.

 (参考:NHK「大心理学実験」関連情報 - 日本社会心理学会 広報委員会

 

この引用の矢印の先の記述は解説サイトのもので、番組内では解説はあまりなく淡々と実験の結果が報告されていました(大科学実験もそうだけど、その淡々とした感じが好きです。同じNHKの「72時間」が好きな理由もその押し付けがましくない感じなのかも)。

 

この実験からわかるのは、多くの人が周りの発言に引きずられる傾向があること。そして私が面白いと思ったのは、1人でも違うと声を上げる人がいたら引きずられる傾向が崩れること。

 

周りのたくさんの人が同じことを言ったり同じことをしたりしているときに一人「違う」と声を上げたり、一人自分の価値判断で動く、これ、私にも身に覚えがあるのです。いわゆる「空気が読めない」と評される行動。

 

小学生の頃周りの女の子たちが「なかよし」派か「りぼん」派かと話しているところで気にせず一人「ひとみ」を愛読していたり、光GENJIの中で誰が好きかと問われて「かーくんかあっくんだよね」とか言われる中「大沢樹生」と素直に答えていたり。

「〜〜ちゃんってこうよね」って言われて「え?そんなことないと思うけど」とぶっこんでいたり、過去を振り返るとみんながどういってるか、どうしてるかを読んで行動する、ということが出来てなかった自分が思い返されます。

 

それは、マイナス要素でしかないと思っていました。空気を壊すダメな私。空気を読めない、ダメな性格。

 

でも番組をみながら夫が「こういうのさ、政治に利用されたりもするわけよね」と。「うん、でも誰かが「違う」って言ったらそこで空気がちょっと変わるのかな…」と自分で答えて、あれ?っと。

 

その「違う」ってぶっこめる誰か、って多分、普段周囲から「空気が読めない」って言われてる種類の人なのかもしれないなぁ、と。

 

「空気が読めない私はダメな人間」と思って何かの集まりでも一生懸命空気を読もうとして努力はしてきたのだけど、これ、もしかしたら上手く使えば利も産める能力なのかもしれないぞ、と思ったりしたのです。

 

と夫に話していたら「違うよ、あなた空気が読めないんじゃなくて、空気を読まない、んでしょ」と。

 

その短い一言を受けて振り返ると、確かに私は「空気を読む能力がない」わけではありません。ただ、簡単には出来ないから意識してスイッチを入れてる感じです。最初の設定が「空気を読まない」になっていて、手動操作で「読む」に切り替えている感じです。これが多分、多くの人は最初の設定が「空気を読む」になっているのではないかな、と思います。

 

職場や何かの会議、学校のイベントや保護者会役員会等、気心が知れているわけではない人たちのなかで何かを話し合ったり一緒にしたりするときは、特に注意してスイッチを切り替え、スキャナーの精度をフルに上げて一生懸命スキャンして情報をかき集めてどう動くべきかを考えて行動している、そんな感じです。なので集団での行事に参加するとものすごく疲弊して夜ぐったりしたりしてしまうのですが。

 

それを多分、難なく出来る種類の人が居る。でも逆に、その「空気を読む」ことがデフォルトの設定になってる人たちにとって「空気をあえて読まない」ことのハードルって多分とても高いのかもしれないなと。

 

でも普段、空気を読まないことが標準設定の私にとっては「あえて空気を読まずに声を上げる」ことはそうハードルの高いことではありません。過去のトラウマが若干よぎってセーブがかかることもたまにありますが。

 

それを感じたのは昨日たまたま参加したある団体の役員を決める場。

どうしましょうと持ちかけた司会の声のあとは沈黙が続きます。誰がするしない以前に、どうやって決めるかを話すことからはじめないといけないのにその声すら上がらない。周囲が黙っているから黙っている、あぁこれが「同調」なんだなぁ…と眺めながら思いました。(もちろんここには、口火を切ればその分自分に降りかかるんじゃないか、黙って最後までやりすごしたい、という心理もあるのかもとは思います。でも私は逆にどうやって決めるかを自分の主張を交えて決められたらメリットもあると思うのだけどね)

 

空気を読めないことを手放しで賞賛したいわけでもないし、頑張っても空気読めない人もいるし、空気読むって集団生活では必要な事だし、どっちがいいとか悪いとか、そういう話では全然ないと思う。

 

今回の視聴や夫との話で気づいたのは、「空気読めない」って別に悪いことばっかじゃないんだってこと、その「空気を読まなかった言動」で良い方に転がることもあるのかもしれないよね、ってこと。

 

そんなことを夫と話しながら、昨夜の「流星ワゴン」の第3話を見ました。

クラス中からいじめに遭う息子。ここに、空気読まずにいじめに同調しない子がひとりいたら、多分クラスの空気は変わっていくのかなと思う。セットでいじめられることになったり、ターゲットが変わるだけだったりっていう、良く無い結果も産むことはもちろん考えられるのだけど、何か良い方に変わる契機にもなるかもしれない。

 

空気読まない、っていうことが否定的にばかり感じられるかもしれないけど、でもけしてそうとは限らないのかもしれない。周囲と上手くつき合うために、その辺を上手く調整していけるようになれたらいいなぁと思ったりしました。

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