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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「ごめんね」じゃなくて。〜キャラ弁騒動に思う。


内閣府キャラ弁で一旗あげたお母さんの記事が炎上しているのを昨日から眺めていました。

www.huffingtonpost.jp

 

TLに並ぶ批判の声に、うんうんそうだよなぁと思いつつもやっとしたモノも感じたり。それは、キャラ弁=母の愛とも受け取られかねないそのブログの内容に反発するあまり出て来てしまっている、キャラ弁否定と手抜き弁当歓迎の声。

 

うん、働く母さんとして私も夫の毎日の弁当と子どもたちそれぞれにたまの弁当を作る身、簡略化した方が助かるのは本音なので「キャラ弁こそ母の愛」だなんて言われたらおいおいちょっと待てよ、と思います。無理です。そんな環境で子育てできない。

 

でもそこで問題なのは「キャラ弁を作ることがお母さんの使命です」と女性にそれを押し付ける存在やそれを暗に求める環境であって、キャラ弁そのものではけしてないと思う。そこを、はき違えちゃいかんと思うのです。

 

あのブログ記事そのものは、私はキャラ弁うんぬんというよりは専業主婦やパートタイム勤務主婦として生活しながら満たされないものを感じたり金銭的な問題を抱えたりしている主婦にとってはつい飛びついて憧れる話だなぁと思って読みました。一昔前でいうところの料理研究家の栗原はるみさんのような、日常を送りながらその生活の中で特に就職活動を積極的にすることなく自分の才能を見いだされ、運良く世に出て仕事に繋げ、収入源を得るという、主婦として羨ましくなるような夢みたいな話で。

その、一攫千金的ラッキーな話を、キャラ弁というトピックを下手に表に出したせいで「毎日キャラ弁を作るお母さんを応援」的ミスリードに繋げての炎上、というイメージ。

 

閑話休題

キャラ弁そのものを否定して、手抜きの弁当を賞賛して、でもそれ、一番大事な根っこを見落としてませんか?と思うのです。

何のためにその弁当作ってるの?誰が食べるの?ってことです。ちょっと前に話題になった反抗期の娘に作り続けたという手の込んだ手作り弁当の本、あれを見ていても思ったのだけど、どんなに手の込んだキャラ弁だろうと、栄養満点のお弁当だろうと、冷食使ってない完全手作り弁当ですと母親が自負していようと、それを子どもがどう受け取っているかを考えてなかったら、それはただの親のエゴでしかないと思う。

同じように、母親が楽する方が良い!ってサイバラばりの手抜き弁当を持たせたとして、やっぱりそれを子どもがどう感じているかを考えてなかったら。

 

それ、どっちもただの抑圧でしかないと思うのです。

 

中身なんか、ほんとは関係ないんだよね。親が、自分の出来る範囲でやれば良いし、能力や時間の限界は個人差があるから、出来ないもんは出来ない。大事なのはそれを子どもがどう感じているか、子どもがそのお弁当から何を受け取っているかで。そこがちゃんと共有できてたら、中身なんか何でもいいと思うんだけどな。

 

先日、とあるご縁でご自身がきょうだい児である議員さんにお会いする機会がありました。障害のあるご兄弟のお世話に苦労する親御さんの姿をずっとそばで見て支えて来た方で。その方のお話の中でとても印象的だった言葉が有ります。

 

「お母さん、「ごめんね」って言わないでくださいね」

 

子どもにとって、障害のある家族が居るという現実は当たり前のこととして受け入れるしかないことで、そうやって当たり前の毎日を送っているのに母親から「ごめんね」って言われるととても辛い。「ごめんね」って言われるより、「ありがとう」って言ってくれたら、あぁわかってくれてるんだなぁ、って思って嬉しくなると思います、と。

 

 周囲と比べて、自分が出来ないこと、してやれないことを申し訳ないと子どもに罪悪感を抱くこと、それは障害のある子の子育てだけに限った話ではないなぁと拝聴していて思いました。

子どもにとっては、自分がおかれているその家庭が、その環境が当たり前のものであって、そこで暮らしているわけで、それを親に「ごめんね」って言われたら、確かに何をよりどころにしていいかわかんなくなるのかもしれない。

 

自分の至らなさを反省する意味での罪悪感を感じてそれを昇華させることは内的には必要かもしれないけど、それは子どもに向けていいことではないんだろうなと改めて反省した出来事でした。

 

キャラ弁騒動でも同じ事を思うのです。

キャラ弁が作れなくてごめんね、じゃないんじゃないかなって。作れないなら作れないなりに、子どもとどう向き合っていくかが大事で、キャラ弁を作る人やそれを取り上げること、そしてキャラ弁そのものを責めてもなんにもならないと思う。キャラ弁作れるお母さんこそがステキみたいに盛り上げるのも違う。

 

作るか作らないか、とか、作れという圧力を感じるとかそういうことじゃなくて、今子どもがその環境の中でそれをどう感じているのか、そして、要求にただ答えるだけじゃなくてそれに答えられない現実が有るときにどう対応していくのか、どう子どもに向き合っていくのか、そこを考えていかないと一番大事なことが置いてけぼりになるような気がしています。

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