スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

のぶみ氏の歌や絵本に対する思いをまとめました。


寒い寒い朝です。

数日前?からTLが某絵本作家さんのお作りになった曲を某歌のお兄さんが歌った件で賑やかです。

 

私も絵本の読み聞かせボランティアをちまちまとやっている身でもあり、思うところはたくさんあってちょこちょことツイートはして来たんだけど、昨日のこのツイートがちょっと伸びてました。

 

 

RTが伸びるとまぁ色々飛んでくるわけですが、そこらへんも受けてこの件について自分がどう考えているかをまとめとこうかな、と雪の中の子どもたちの登校に付き添った帰り道にぼんやり考えて今に至ります。

 

のぶみ氏の過去の絵本作品、そして今回の歌、私が何が気持ち悪いかというとそれらが「子ども向け」というコンテンツで世に出されているから、そこに尽きます。

 

上記のツイートであえて「大人」という言葉を使った意図はそこで、「子ども向け」というコンテンツであることから当然そのターゲットである「子どもたち」を見据えて、思いを馳せて、物が作られている「はず」なんです。

 

でも実際にはどうだろう。

 

読む人聴いた人は間違いなくわかるはずです。

あれは「子ども向けを装った、一部の大人向け」ですよね。

創作に関わる大人として、子どもたちに向けた物作りをしてる大人として、そのスタンスはどうなんだ、そこが私が最も憤っていることです。

 

内容そのものへの憤りも当然ながらあります。

育児用品のCMでも過去にあったように、乳幼児育児に携わる母親の孤立やしんどさそのものを否定するつもりはないんです。むしろそこに寄り添うものに救われることもある。

それについては過去に書いたことがありましたね。

 

 

母親の現状を憂い、そこに寄り添ってくれるものについて私は否定するつもりはありません。私自身、Twitterのそのような働きに助けられ、また、男児のアホな行動に振り回される世のお母さんに向けてエールを送る書籍の出版に関わっている身でもあります。

 

親としてこんなしんどさがあることを知ってもらって共感を得たり、助けてもらったり、将来に生かしてもらったり、それそのものは色々なメリットがあると思う。

でも上記の記事でも触れたように、それは「改善していってほしいこと」であって「現状のまま賛美されて終わってもらっては困るもの」で。

だからムーニーのCMに関しては私は、外部からその現状を肯定して終わってしまわないで、という気持ちを言葉にしました。

 

のぶみ氏の書かれている今回の曲は、まさにそのしんどさをそのまま美化し肯定したもの、それだけでも残念なのに、さらにそれが「子ども向け番組の曲」として扱われてしまう気持ち悪さがそこにありました。

 

子ども番組ですから当然親も一緒に見るだろう、という意味でのターゲットとも言えなくはないかもしれない。NHKの「おかあさんといっしょ」の中にもその雰囲気を思わせるものは少なからずあるので子ども番組のそういう傾向自体は今に始まったことじゃないのだろうと思うのだけれど。

 

絵本もそうだけれど、一度子ども向けとして世に出てしまったコンテンツはもうずっとそういう扱いを受けることになる。

 

私のツイートへのメンションの中に、「与える大人に対する警鐘の必要が」と書かれている方もいらっしゃいました。一理はあると思います、が本当にそれでいいのでしょうか。

 

子ども向けとして世に出ているものがどんな形で子どもに届くのか。

親が子どもに買い与える、図書として園や学校で触れる、子どもが自分のお金で買わない限りそこに大人が必ず介在はします。その大人が意識すればある程度の防波堤にはなるでしょうね。

でも、絵本として出版されれば図書館では絵本のコーナーに並びますね。さらにどこかから寄贈されたものとして公民館などの文庫や病院の待合などにも並ぶ。売れている絵本として贈り物に選ばれることもあるでしょう。

番組として放送されてればどこで流れるかはわからないし、どんなシチュエーションでそれを子どもが目にするかわからない。

「与える大人が注意すれば子どもの手には渡らない」ということは無いんですね。

 

ここで、「見せてはいけない」のか、という話が出てきますね。

検閲をして完全に子どもからシャットアウトすべきなのか。

 

我が子に限って言えば、私はのぶみ氏の絵本を子どもが借りてくることがあっても構わないと思っています。(仮面ライダーのやつはよく図書館から借りてましたね)それを読んだ子どもが感じたこと、受けた影響を自分を含め周囲の大人が受け止める素地が用意できている自信があるから。

 

うちでは基本的には子どもが何か見たがれば年齢に関わらず制限は特にしてません。そこから何を感じたかどんな影響を受けているかを話して共有したりできるベースがあるので心配することはないし、それでおかしな影響を受ける子たちでもないという子どもたちへの信頼もあります。

 

でも、そこまでが想定されていない場で子ども向けにあの、子どもに罪悪感やマイナスの感情を植え付けてしまいかねない内容がぶちまけられてしまうリスクはやはり大きいと思うのです。

 

「子どもに向けた」というコンテンツを作る側としてもうちょっと考えることはあるんじゃないか、とやっぱり思う。私はあれらが、大人向け、お母さん向けに発信されていたら多分「しんどさはわかるけど外から肯定してくれるなや」ってブツブツいう程度だっただろうと思う。

 

のぶみ氏のものに限らず、教訓めいた絵本とか変なメッセージ性の強い絵本はたくさんあって、それそのものを子どもたちが読むこと自体はさておき、あれを子どもをコントロールする道具として使おうとするの、やだなぁって私は思うんですね。

だから教室での読み聞かせの選書でもなるべくそういうのが無いのを選ぶようにしていて。どんな影響を与えてしまうかわかんない、読み聞かせにはいつもそのリスクが付いてきます。そこに無自覚でいてはいけない、といつも教室に入る前に思う。

 

「子ども向け」であるからには「子どもたち」を見据えない物作りはしてくれるな、と強く思う。のぶみ氏の絵本、歌、それを世に出すまでに関わった少なく無い人数の大人たちの中に、あれを子ども向けで出しちゃダメだという大人がいなかったのかということ、いたとしてもそのチェック機能が働かない仕組みがあったのではということ。

その、物作りの現場の大人の意識と仕組みに、私は警鐘を鳴らしたい。

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