読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「大人もやってるじゃん」問題

こどものこと 夫婦・家族のこと


ヨシタケシンスケさんの絵本の「りゆうがあります」と「ふまんがあります」

これ、続編があるのかどうなんだろ〜と思っている作品群でして、子供たちの一見不可解な行動、目くじらを立てたくなる行動には「それなり」のりゆうがあります、子供が不満に思う大人の行動には「それなり」のりゆうがあります、というこの本。

 

読み聞かせに持っていくと子供たちから「そんなわけないじゃん〜!!」「え〜!!」っと大変微笑ましいブーイングがつぎつぎと飛んで来ては「また読んで」と言われる名作絵本だったりします。

 

これら絵本に描かれている、すっとんきょうで非論理的な数々、普段一生懸命子供たちに善悪の判断をつけねばと奮闘している親にとっては「そんなこと…」っていう内容かもしれません。私も最初に読んだ時に面白い!と思ったと同時に、でもそうやって開き直られても…という気持ちやそういうスタンスで育てたら物事が分からないまま育っちゃわないか…という不安もわずかにですがありました。

 

そんななか我が家の子供たちも例に漏れず「大人だってやってるじゃん!」というご不満が飛び出した数日前。

 

寝る時間だからゲームやめてと促したときに次男から「でもお母ちゃんだって夜おそくまで起きてるじゃん、ゲームしたりしてるじゃん!」

 

普遍的な子供の疑問だなぁうん、と思いながら「大人だからなぁ」と思わず言っている自分がいました。

 

私は大人だから、明日自分が何時に起きなくてはならないか、そのためには何時間くらい寝ておけば良いか、が分かります。逆算すれば、何時まで起きといてもまぁ明日なんとかなるか、というのも分かります。

 

それが「見通し」

 

今は夜間で外部の人が居ないからお布団や居間でゴロゴロしながらスマホでゲームしたり、パジャマでうろうろしたりしても別に困らない、というのも意識してます。

 

それが「TPO」

 

私は大人だから、もし明日の朝何らかの要因で寝坊してしまっても、そこで起きてしまう全てのことをなんとかしなきゃいけません。お弁当が作れなかったらお昼休みにお腹をすかせないように出勤途中で何か買わないといけないし、もし子供のお弁当の日だったら慌てて作ってお届けしなくてはならないかもしれない。朝ごはんが質素になって子供たちにゴメンナサイと言わねばならないかもしれないし、会社に遅刻したら叱られたりペナルティを課されたりするかもしれない。

 

それが「責任」とその責任を背負う「覚悟」

 

見通しを立ててTPOをわきまえて自分の行動を決める指標とすること、自分の行動で引き起こしてしまったことに責任を取ること、その責任を負わねばならないことを覚悟すること。

 

お母ちゃんは大人だから、その4つを意識して生きています。

君らはどうだろうか。と。

 

眠い時でもありまぁあまり真面目に話した訳ではなかったのですが、そうか〜と呟きながら寝入っていった子供たち。

改めて言葉にしてみて、あぁそんなことを意識しながら生きてたんだなぁと自分でもなんだかおかしくなってしまいました。

 

子供たちはそんなこと考えずに目の前のことだけを意識して生きてるんだろうなと。その結果が、大人からしたら目くじらを立てねばならない状況になる。

 

それは逆に考えると、大人はその色んな要素を意識してるからやっていいわけで、彼らが叱られてしまうのは「悪い事をしているから」ではなくて「やっていることそのものは悪くないのだけどやって良い条件を満たしてない(それを考えてない)」んじゃなかろうかと。

 

そこで思い出すのが、発達障害児を育てる指南として色々な本やサイトに書かれている叱り方。

 

「命に関わること・自分や人の体を傷つけること・物を破損すること」だけを叱りましょう、それ以外は叱らずそういう事態にならないように場面を整えてあげて(いわゆる構造化ですね)失敗せずに達成出来る経験を積ませてあげましょう、というもの。

 

これ、普段から分かっているのになかなか出来ないことでもある。恐らくは発達障害児に関わらずどの子にも応用できる接し方なんだろうなとも思っていますがこれが本当に難しい。

 

難しいなぁと思いつつ意識せねばせねばと日頃から思っていたこの叱り方、「大人もやってるじゃん」っていう視点から考えたら結構しっくり来るなと気づいたんですね。

 

ゲームだらだらやっちゃうことも、爪を噛むことも、宿題めんどくさくて先延ばしにしちゃうことも、お鍋からそのままラーメン食べちゃうことも、子供がやっちゃうと叱られてしまうそんなあれこれは、どれも大人が「状況を選べばやってもべつに構わない」ことでもある。そのコト自体が悪いわけじゃなくて、やり方が悪いだけ、もしくは、先を見通した時に不利益が大きいと判断してやってないだけ。

 

なんだ、結局やっちゃってることやりたいと思ってることは子供と同じじゃん、と。

子供たちにはまだその、状況を判断する能力や起こった事の責任をどう取るかの知識、穴埋めをする技術を得てない、育ってないだけなのかなと。その育ってない能力を勝手に求めて叱ってたのかなぁと。それって、ドラクエとかでまだ覚えてない呪文を唱えろというコマンドを与え続けてるとかそんな感じのあり得ない状態ってことなのかな、そりゃ無理だ。

 

そうやって考えてみると、ヨシタケさんの絵本にあるような途方も無いようなアホみたいな「りゆう」をお互いに言ってなんだよそれ〜って笑いながら、その子の色んな能力が大人に近づいていくのをただ待っていれば良いのかもしれない。そうやって一緒に笑って、本当にやっちゃいけないことだけきっちり叱って、状況を判断するための知識はときどき言い添えて、そうやって一緒に生きていくのが親としてやるべき大事な事なのかもしれないなぁ…

 

と思いながら、やっぱりトイレのおしっここぼしてたらおだやかに諭す前に「誰だ〜!」って大きな声を出してしまう未熟な自分が情けないなぁと思う、そんな秋の午後です。

 

 このエントリでご紹介した名作2つ

 

 

そして、えこさんのエントリ(ヨシタケシンスケさんの『もう ぬげない』を読みました 〜あるあるだからこそ面白いのです! - バンビのあくび)を読んで衝動的に本屋に走って買ってしまった最新刊「もうぬげない」

もう ぬげない

もう ぬげない

 

 オチにおもわず吹き出してしまいました。

次回の読み聞かせには絶対持って行こうと心に決めた一冊です。

スポンサードリンク