読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

次男と私のお洋服 〜世界自閉症啓発デーに寄せて


ユニクロのような安価の既製品のお洋服をするっと着こなせる方がいます。

 

なんとなく違和感は感じるけどまぁ問題なく着られる、という方もいるでしょう。

 

自分で工夫して着こなせば問題ない、という方もいるかもしれません。

 

洋裁の心得があって自分でお直しして着心地を良くしている方もいます。

 

お直しをプロや得意な方に外注して自分に合ったお洋服に直して着ている方も、

 

お直しでは調整が難しいからオーダーメイドのお洋服を着ている方も、

 

既製品では合わずストレスが溜まるけれど直す術を知らずに着続けている方もいるかもしれません。

 

 

お洋服に例えましたがこれは、自閉症を含む発達障害についても同じことが言えると思っています。

 

 

私は、自分で工夫したり洋裁を学んだりして自分なりお直しをしたり、時々身近な方にお直しを頼んだりしています。つまり、恐らくは当事者であろうという自覚がありますが自力でそれをカバーすべく色々な工夫やツールを駆使したり、身近な方に具体的に協力を自分で依頼して問題なく生活を送っています。

 

夫や4人のこどもたちのうち2人は既製品の洋服を気持ちよく着ているように見えます。

1人はなんとなく着心地の悪いこともあるようなので私が時々少しお直しをしたりしつつ、既製品のお洋服で過ごしています。

 

そしてもう1人は、私やプロのお直しを利用したり、ときにオーダーメイドのお洋服を発注したりしています。つまり、教室や家の中で快適に過ごせるように私がツールを工夫したり、周囲に配慮をお願いしたり、通級指導教室を利用したり通院したりして彼に合った環境を整えるための色々な手を必要として過ごしています。

 

でも、私たち6人は見た目はたぶん、どこにでもいる似たような顔をした家族です。並んでもそれぞれがどんな服をどんな風に工夫して着ているかはきっと分かりません。

 

なないおさん発の世界自閉症啓発デーに寄せたコラボ企画。

この、なないおさんの書かれた記事のタイトル「私たちはあなたの身近で生きています」というこのままが、私の気持ちでもあります。

 

昨年の同企画で私が書いたのは、当事者と定型発達者として生きている人たちの間には本当は境界線なんてないんじゃないの、ということでした。

 

 

いろいろな当事者の方や当事者家族のみなさんと関わりを持ったこの1年を経て、改めてこの記事を読み直してみました。

私は今も、発達障害当事者と定型発達者の間には境界線は存在していない、と思っています。でも去年と少し違うこと、それは、境界線は存在していない、でも「困っている」という診断は支援を受けるために必要だと言うこと。当事者と定型さんの間に境界線があるのではなくて、困っている人と困っていない人の間には境界線を必要としているんじゃないか、ということです。

 

私は、恐らくは当事者ですが困ってはいません。

自分がどんなことが不得手かを知っているし、苦手なことについては誰にどんな支援を頼めばいいか、どこに愚痴を吐けばいいか、その自分の取扱説明書を自分で把握して、自分でなんとかできているからです。

 

でも、次男は教室で困っていました。小手先の工夫ではどうにも対応しきれませんでした。彼は、困っている人という境界線の向こうであると本人も周囲も認識する必要があった。その認識の向こう側に初めて、公的な支援や配慮が得られた。境界線を越えることで彼は初めて、これまで着ていた自分に合わなかった既製品のお洋服から、自分に合わせてお直しをしてもらった着心地のよい洋服を着ることができたのかもしれません。

 

学校の先生や知識を持った周囲の知人…たくさんの方の援助により彼に合っているのはどんなお洋服かを一生懸命模索し続けています。どう直せばよいか、どうしたらストレスを感じないか、私たち夫婦も含めた複数の大人たちが彼のために考え、試行錯誤する日々です。彼が笑顔で過ごせるように、そして周囲がそんな彼と楽しく過ごせるように。

 

彼は「困っている」ことを周囲に気づいてもらえた、だから彼のためのお洋服を直したり作ったりするためのチームができました。

 

でも。

 

何となく既製品のお洋服を着ているようで実は肌触りの悪さや締め付けの苦しさを感じて、でもどうする術も無くストレスだけを募らせている子たちももしかしたら教室にいるのかもしれない。子供だけじゃなく大人の社会のなかにも、みんなが着てる同じ服を着ているけどなんだか違和感がある、でもどうにもできずにイライラを感じてしんどい人がいるのかもしれない。

 

パッと見た目は着心地よく着ているように見えても実はストレスを感じてしまっている、本当はお直しやオーダーを必要としている人は多いのかもしれない、と思っています。

 

境界線を「発達障害者」と「定型発達者」の間にあると考えてしまっていたら、その着心地の悪さを感じながらもそれなりに過ごしている人はいつまでもそこでストレスを感じ続けることになるかもしれません。「ストレスを感じて困っている」からこそ何かの工夫や支援が必要なんじゃないか、お直しをしさえすれば着心地がぐっと良くなるのかもしれない、その、困っているんだよっていう境界線を自分も周囲も意識できたら。

 

昨年も書いたインクルーシブ教育や教育のユニバーサルデザイン化はその既製品そのものの概念を覆すことなのかなと思っています。工業製品として流通しているファストファッションではなくセミオーダーのお洋服が誰にでも手に入る環境。

 

でもそこに行きつくのはきっとまだまだ時間がかかるから、今できることはまずその、困っているという境界線を本人が自覚したり周囲が意識したりして支援に繋げることなんじゃないかな、と思っています。

 

お題の「うれしかった配慮やお礼の気持ち」の具体例からはかなり離れてしまったのだけれど、次男のお洋服お直しチームができたことがこの1年の私のうれしく、そして支えてもらったこと。さてそのチームの大半の方が異動となってしまった来年度、どんな新しい出会いが待っているのか期待と不安が入り交じった複雑な心境の母とは裏腹に、前だけを向いている次男です。

スポンサードリンク