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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

子どもをすぐに手放せる環境と、すぐに手元に置ける環境。


6歳と3歳半の子育て中だけど、育児をクリアした感が半端ない

この記事を読みまして。内容については特に感想は無いんですが、記事の中で一ヶ所、なんだか気になった所がありました。

「保育園に行きたくない」と言い出したら「行かなくていいよ」と言える

子どもたちが「保育園に行きたくない」と言い出せば、「じゃあ、行かなくていいよ」と軽く言える環境にした。

というところ。

一瞬、引っかかったんですね。そんなの簡単にできる家ばっかじゃないよって。無理矢理にでも保育園に押し込んで働いてる親もいっぱいいるんだよって。

 

「学校、行きたくない」

でもふとよぎったんです。小学生の息子がある朝突然「学校行きたくない」と玄関で立ち止まった日のことが。

 

理由は教室で起こったことによる心の傷でしたがその時はそんなこと分からず、ただなんで??って感じでした。でもとりあえずただならぬ感じはしたので休ませたかった。たまたま私が息子を連れて行ける職場だったことや自分で仕事を調整すれば空き時間が作れる職種だったことでなんとか対応してはきましたが、それでも息子がなぜ教室を嫌がったのかが分かるまでに相当の時間を要したし、その間学校やスクールカウンセラーや自治体の相談機関などと連絡を取る機会を作ったりもしたりで、仕事の時間を調整する必要がありました。

 

その中で感じたこと、それは前にも書いたことがあるのだけど、子どもの為に時間を必要としたときに対応できなかったらどうしよう、という怖さでした。

 

そのときに必要だったこと

保育園児の「行きたくない」と小学生のそれは同じレベルでは語れないことなんですが、年齢があがるごとにその些細なトラブルの解消に時間と配慮が必要なんだということを痛感しています。

細かく手や言葉をかけずにただそばで様子を見る、それだけでも、家にいてあげる時間が必要になる。それは親でなくても多分良いのだけど。

うちは双方の実家が近く頼れることや近隣の親戚や知人も頼ることができる環境にいるのでなんとか低空飛行でやり過ごして来ているのが現状ですが、時間を作れば当然収入は減る訳で、そこも含めて子どものそういう事態にどこまで対応していけるんだろうっていう不安はこの先もずっと続くのかなと思ったりしています。

その事態をしっかり想定して日頃から夫や周りの身内や友達との関係をつくっておくこと、それも子どもの世話のなかの一つの大事な項目だったんだろうと。「いてほしい」と子どもが求めるときに誰かがそばにいてあげられること、それを想定した家庭環境が大事だったんだな、と今更ながらに考えています。

 

 

「いてほしい」に応えるという困難

そんなこと言ったら、幼児期はどうなるの、って思われるかもしれません。

だってたいていの子どもは3歳くらいまではずっと「誰かにいて欲しい」期、特に「ママ(パパ)がずっとそばにいて欲しい」期だから。

それが分かってるから、求められたら全部応えたいから、色んな自分の都合も欲求も抑えて「そばにいるママ(パパ)」であろうとすることがしんどさの根底にあると思うんですね。

でも私は、そのときにこそ自分が状態よくそばにいてあげられるように「手放せる環境」が保険として必要と思う。

手放せる=いつでも誰かに預けられる、ということ。

子どもは小さいうちは特に、と思うのだけど、いつでも子どもを預かってくれる人が配偶者以外に周囲にいるということ、これはとても大事なことと思う。それがない状態で子どもを夫婦だけで見る、ってとても綱渡りな、ギリギリな、いつ崩壊してもおかしくない事態だと思った方がいいんじゃないかなと。

 

育児の「保険」確保・把握してますか?

我が家にとっての非常時の頼る先は、双方の実家と自分と夫のきょうだい、一時預かりをしてくれるこども園、学童です。夫もサポートはしてくれますが私の減った収入を補うべく仕事を増やしているので家にいる時間は減っており、それ以外の方向で地盤を固める必要を感じて色々と工夫はしています。

この辺のバランスは、誰が直接手をかけるか、誰がどのくらい稼ぐのか、誰を頼るのか等々、各家庭でそれぞれの事情が絡んでくると思うので正解は無いと思います。それを、話すこと、話せること、相談し合えること、その関係を維持しておくことが大事だと思うのですがそれはちょっと話がズレてしまうのでまた別の機会に(話題になってる増田さんの「残念な夫」のエントリはまさにその失敗の典型例ですね)

 

もしこれを読んでる父親の立場の方のなかで、自分は仕事で奥さんが主に一人で家事育児を担ってる、っていうおうちの方、もし奥さんが病気で倒れた時に誰を頼れるか把握してますか?そのことについて相談したことありますか?病気だけじゃなくても、ちょっと友達に会うために、自分が身軽に買い物に行くために、そんな日常の些細な負担を軽くするために誰を頼る必要があるか、それを家族で考えておくことって子どもの環境を守るための大事なことなんじゃないかな、と思います。身内、ファミサポ等自治体のサービス、保育施設、一時預かり、友達…血縁以外でも頼る事が出来る先はあるかもしれない、それを「育児を主にしてる人」が一人で決めて一人でお願いして一人で把握する、んじゃなくて、それを相談すること、共有しておくことも子どもを育てる上での必要なことなんじゃないかなと思います。

 

いざという時では遅いから

夫婦だけの核家族世帯で親族も公的なサービスも保育施設も頼らずに育児をする、というのは、はっきり言ってとても危険、と自分の過去を振り返っても思います。

無理とか難しい、とかではなく「危険」とあえて言う。子どもの命や情緒を育むことの妨げに繋がる可能性も秘めているからです。

そして、誰かの病気や入院、園や学校に行けなくなるトラブル、どこにそれが潜んでいるかは予想は出来ないし、それがどのくらい続くかも予測がつかない。

突然の病気で入院が決まってから「さぁ誰を頼ろうか」じゃ遅い。

もっと言うと、育児がしんどいなって煮詰まってから誰を頼ろうか探しても、遅い。

 

都心の長時間労働や疎遠な関係性の中で簡単にはいかないのはわかってるけど、でもだからあえて、改めて意識しないといけないんじゃないかな、と思う。

 

子どもから離れたいと思ったらいつでも手放せる環境と、子どものそばにいる必要を感じたらいつでも手元に置ける環境、そのどちらもを叶えられたら。個人のレベルで出来ることも、行政の支援が必要な部分も、それぞれあると思う。そこがいろんな問題を解消するためのスタート地点のような気がしています。

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