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スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「マナーやルールを守る」という、誰でもできる育児支援


通学路のなかの、ちょっと危ないところ

子どもたちがよく通る道のなかで、ちょっと危ないところがあります。

交通量の比較的多い国道、渡って向こう側に子どもたちがよく行く場所があり、渡るための手段は横断歩道と歩道橋が整備されています。横断歩道を渡ろうと思うとちょっとう回しなくてはならない場合もよくあり、歩道橋の真下を大人が渡っているところを見ることがあります。大人がやっているから当然なのですが、児童がそこを渡っているところを見てしまうこともあります。

 

大人がやってる、ということ

私は、絶対に子どもたちの前で横断歩道や歩道橋ではないところを渡らない、と思いながら暮らしています。「大人がやっている」というのは自分が思っている以上に子どもたちに影響を与えることを身にしみて感じているからです。

子どもたちには、今だけだからとか、ちょっと階段登るのしんどいから今日だけとか、そんなのは伝わりません。子どもたちが受け止めるのは「大人が歩道橋の下の車道を横断していた」という事実だけ、自分のそれが子どもたちに影響を与えて事故を引き起こしたらと思うと怖くなるから、出来ないというのが本音でもあります。

 

大人がやってても、やらない?

私は、自分の真似を我が子に限らずそれを見ていた子が真似していたらどうしよう、と不安になります。でもどこかで「いや子どももそんなバカじゃないし、大人がやっててもいざ自分がってなったらやっちゃダメな事はやらないよね」というちょっと自分に対して甘さが出ることもあるのもまた事実です。しんどいときに最短ルートであるルール違反をおかさずにせっせと歩道橋の階段を登るのは、そんな自分の中の甘さと、いやでも、という怖さとのせめぎ合いでいつも怖さが勝つからなのかなと思います。

大多数の子は、大人の目があるところでは恐らくは教えられたことを守ると思います。学校や親に指導されたルールを、守ると思う。だからこそ、私が危ないなぁと思う場所で事故がそう頻繁に起こっているわけではないんだろうなとは思うのです。(もちろん、そんな場所だと分かっている地元の人はかなり注意して運転しているとは思うのでその結果でもあるのだろうとは思うのですが)

 

 

一生懸命守っている子どもたち

子どもが小学生になって気づいたことなのだけれど、我が子も含め子どもたちは学校や家や色んなところで大人たちから指導された「ルール」や「マナー」を、一生懸命守っているんだなぁと。

もちろん個人差はあるし、得手不得手もあるし、その子によって守り易いものや守ることがとても大変なこともある。でも、それぞれの子どもたちが「守らねばならないもの」をたくさん抱えて、ルールやマナーを一生懸命守りながら登校し、生活してるのだなと感じる場面に多く出会います。

 

「あいさつをしよう」という指導をされたら一生懸命あいさつをする子どもたち、時としてそれは、自分と同じように一生懸命あいさつしてない(ように見える)子への苛立ちや非難に変わることもある。そういう子を見てると、あぁ守るということを一生懸命頑張っているんだな、と思うと同時に、この子にとって「このルールを守る」はハードルがやや高くてしんどいのかもなぁと思うこともあります。

 

守っているからこそ、守られている命

横断歩道や歩道橋以外の場所を渡ってはいけません、というのは子どもたちにとって、大人から与えられた守るべきルールのひとつです。命を守るため、というざっくりとした印象はあっても、実際にどんなスピードで車が突っ込んで来たらどんな事故が起こるか、自分がどんな目に遭うか、と思慮深く考えてそのルールを守っている子はそう多くない(というか子どもでそこまで想定出来てたらすごいと思う)。

ダメって言われているから、危ないから、という程度の認識しかない子の方が多いと思う。その、ダメって言われてることを一生懸命守っているからこそ、守られている命があると思うのです。

 

いろんな子どもたちにとっての、守るべきルール

しんどさを感じることなく交通ルールを守っている子もたくさんいるだろう中で、上記のような一生懸命一生懸命「ダメだから」と自分を制して守っている子もいる、発達障害児のように興味や衝動が強くてついルールを破りがちになってしまう子もいる、色んな子どもたちがいるのだけれど、その中で「大人がやっているのに」という現実にストレスを感じる子や、それを自分の中で都合良く解釈してルールを破る理由付けにしてしまう子もいるのではないかなと思う。それによりその子たちが危険な道路を横断して事故が起こってしまったら。

 

「このくらいならいいんじゃないかな」

大人は、自分のその時の自分の事情を心の中で理由付けして、まぁこのくらいならいいかな、っていう判断をしてルールやマナーを破ってしまうこと、誰にでもよくあるんじゃないかと思う。私にも大変に身に覚えのあることで。

でもその「このくらいなら」って判断は外の人には見えないし、もちろん子どもたちには伝わらない、そして、子どもたちにはその「このくらいなら」が大人にあるかどうかすらわからない。わかるのは目の前の大人が「自分がダメと言われているルールやマナーを守ってない」現実だけなのかもしれない。

 

遠回りが面倒で車道を横断しちゃう、疲れてるしいいかなって優先席に座っちゃう…そういう、大人が「このくらいならいいんじゃないかな」って思う行動、子どもたちはちゃんと見てるんじゃないかなぁと思う。

 

「守る」という、子どもたちへの支援

独身の人、子どもが居ない人がさも社会に貢献してないかのような話を見聞きしながら、ずっと違和感を覚えていました。だって私が子どもたちを育てながら、たくさんの「我が子の親」ではない人たちにお世話になってきているから。

そのお世話になっている人たちのなかには、私が一緒に居るときにも居ないときにも我が子の前でルールやマナーを守ってお手本になってくれている人たちも含まれていると思う。

 

子どもが居ないから子育てしてない、貢献してない、なんてそんなことない。

信号を守って横断歩道を渡る、それだけでも子どもたちにとって立派なお手本になるという、子どもたちへの支援なんじゃないかと思うのです。

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