スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

「なんでできないのか」を模索すべくマインクラフトをやった話。

「なんでできないの?」

 

「(こんなに注意してるのに)(こんなに何度も失敗してるのに)なんでできないの!」

 

我が家で私がたびたび口にしてきた言葉です。主に夫に対して子育ての愚痴として発してはいましたが、叱責とともに子供に言ってしまったことも1度や2度ではありません。言ってしまった後でいつも、ゆしさんのように反省するんです、私の指導の仕方が悪かっただけなのに、息子らには息子らの理由があるのに、私の腹が立った気持ちをぶつけてしまっていただけなのに。

 

そして昨日も、うちに1台しかないタブレットの順番争いでケンカする息子たちに対してイライラがつのってガツンと怒ってしまっていたところでした。

 

※我が家では1台のタブレットを4人で共有しているので1日の1人の持ち時間が決まっていて、その枠内で私に予約を入れて使用するシステムになっています。

 

  

 

わからないならやってみようと。

2つのツイートが流れて来たのは今日のお昼休み明け、その直前の小一時間、私が自分の休憩時間をつぶしてやったこと、それは子供らが最近熱狂的にはまっている「マインクラフト」でした。

 

これまで息子たちがやっていたゲームは主に夫が自分もやっていたもの。なので内容については夫に任せ、子供たちのゲームの時間調整なども夫から助言をもらっていました。

でもマインクラフトは夫はやらない。ヒントがない状態で、なぜ我先にとやりたくなるのか、なぜ約束の時間が来てもなかなかきりをつけられないのか、その答えがどこにあるのかを知りたかったんですね。ならばやってみよう、とお昼休みにタブレットに入れてあるマイクラPEを立ち上げ、自分の新しいワールドを作成してみました。

 

ゼロからはじめるマインクラフト Pocket Edition版 完全攻略

ゼロからはじめるマインクラフト Pocket Edition版 完全攻略

 

 

 

右往左往

まず訳がわかりません。

なにをしていいやら。とりあえず簡単だと息子らが言っていたクリエイティブモードでスタートしたのですが何をしていいやらわかりません。

 

ひとまず家を造ろう、と目の前に広がるわりと平地に近い部分をならしていきました。なんかこれだけでかなり楽しい。

 

草を刈ったり段差を削ったりしているうちに辺りが暗くなったので「ベッドだ」とお荷物の中からベッドらしいものを探して草っぱらに置いて寝てみます。明るくなるとともにベッドが揺れ、目の前でブタが跳ねてました。

 

家らしくしたいのでレンガを積んでみました。

窓をつけたかったのでガラスをはめ込みたかったのですがなぜかガラスはレンガの壁のはるか向こうの草っぱらに突き刺さります。慌てて壊すとガラスを割るらしい音がちゃんとします。

 

壁を立てたところで問題が起こりました。屋根をどうやってつけたらよいかわかりません。困っていたら雨が降ってきました。これはギブアップなのか、夜に息子らに助けを求めねばならないのか…色々と試行錯誤して数分、なんとか屋根らしい部分をつけることができました。

 

気づいたら四角いレンガの中から出られなくなっていたので壁を壊してドアをつけてみました。

 

が、どうやってドアを開けるのかわかりません。何度かタップしたらドアは壊れてしまいました。

 

ここまででハタと時計を見たら、やり始めてからあっという間に1時間近く経過していました。恐るべしマインクラフト。

 

37歳児の感想

アホみたいですが、37歳、夢中になって1時間タブレットで遊んでました。面白かったです、ええ面白かった。そして、昼休み明けの仕事というタスクが私を待っていなければ恐らくはそのままタブレットを握っていたと思います。1時間はほんとうにあっという間で、もっと続きをやりたかった。仕事用のPCに向かっている今も、子供たちが寝静まってからあの作りかけの家を次はどうしようかとか、ドアの開け方を息子に聴くべきかググるべきかと考えたりしているのです。

 

どうしたらいいんだろう

私がこれだけ夢中に1時間を費やしたマインクラフト。さて息子たちがこのゲームをやる上でどうやって時間の調整をしたらいいんだろうと悶々と考えています。明確な答えはまだ出ていません。というかきっと私一人では出せないんだろうと思います。

 

私は今、息子たちと同じように「これおもしれえ」というスタート地点に立ったんだろうな、と思うんですね。

 

これまでは中身がわからないから「なんで区切りを自分でつけられないんだ!」とただ憤慨していたんだけど、でも「あぁその区切りつけづらい気持ちわかるわ」まで行き着いた。

 

特に細かいクエストが用意されているわけでもない、クリエイティブモードだと材料も豊富に手元にあるから何でも作ることができる。でも何か作り上げるにはとても時間がかかるし調整の手間もかかるから短時間では成し遂げられないものも多い、子供たちが言葉にしてるそれが、やってみてなるほどとやっと実感が湧きました。

 

私は大人なので、区切りをつけないと仕事に支障が出ること、仕事に支障が出たら収入に影響が出ること、それは困ることを知ってます。夜中やるとしたら睡眠時間を削ったら次の日辛いだろうなってことも、まぁ明日の業務内容ならなんとかこなせるかなとかってことも見通しを立ててやれます。

 

でも子供らはそうじゃない。

今の、目の前だけを見てるから目の前の楽しいこれから離れがたい。

 

この先は、こどもたちと。

やっぱり答えは、そう簡単には出ないんだろうと思います。

私が時間!と意識したのは昼休みがあける時間を何となく意識してたから。タブレット版マインクラフトの画面上には時計らしいものは表示されません。ということは前に書いたエントリのように、スタート時点でタブレットのタイマーをセットしていたら視覚的にストップの意識ができるかもしれない、その導入について相談してみるのもよさそうです。

 

子供たちのように熟達してきていたらだいたいの目算もできるかもしれないので、スタートする時点で「今日は洞窟の探索」「今日はこの施設を作る」という明確な目標を立ててそれが一段落したら時間を見る、という訓練もありかもしれません。その明確な目標をホワイトボードに書いたりするのも面白そう。

 

ゲーム内で昼夜が入れ替わっていくので、何回夜が来たら、というカウントで意識するような形もアリかもしれません。

 

ゲームの時間が終わった後にやるべきことをスタート時点で意識できるような取組も有効かもしれません。次の予定、次の楽しみ、次のタスク、次に順番を待っている人の存在、先を見通す訓練も必要かなと。

 

どんな方法が時間の区切りをつけ見通しを立てるために有効なのか、これから子供たちと色々と話し合う必要がありそうです。

 

その話し合いの場に向けて、私は子供たちの「なんで時間が守れないのか」が少し理解できるところに立てた、そのための1時間だったのかな、と思っています。

 

参考の過去記事

子供が親のお金を持ち出してしまったら。

毎週興味深く拝聴しているNHK第一ラジオの「すっぴん!」の育児相談、今日は尾木ママが答える回でした。

「息子が、親のお金を持ち出しているようです」

相談者:これから仕事さん(群馬県 30代 女性)

3歳、6歳、11歳の男の子3人の母です。1年ほど前から、家の中の物やお金がなくなることがあり、後に、長男の筆箱から弟の文房具が見つかったり、親のお金を持ち出して、ジュースなどを買っていたと判明したこともありました。なくなったお金を、誰がどうしたのかわからないことも度々ですが、年齢も低く、まだ一人でお金を使えない弟たちがとったとは、考えにくいです。
先日、長男の持ち物から、持っているはずのない500円玉が見つかり、確認すると「知らない」と言われました。その言葉を信じるべきだとは思うのですが、なかなか難しく、「あなたじゃないの?」と告げると、とても不満そうでした。これまで本人が認めた時には、しっかり話をしてきたつもりですし、お小遣いで足りない場合は相談するよう話していますが、うまくいきません。どうしたらいいでしょうか?

(参考:こそだてカフェ|すっぴん!|NHKラジオ第1

 

我が家の長男と同じ年齢の男の子に関する悩み、他人事ではないと尾木ママの回答をメモを取りながら聴きました。

 

お兄ちゃんとして頼りすぎ?

まず指摘されていたのは、母親と子のコミュニケーション不足でした。質問文の中に書かれていませんでしたが、このお母さんは1年前くらいから仕事を再開したとのこと。当時10歳の長男くんの下には2歳と5歳の弟がふたり。お父さんのことは書かれていませんが、協力があったとしてもお母さんが復職と保育園児2人のお世話で忙しかったことは想像に難くありません。

尾木ママはその環境の中で「気づかないうちにお兄ちゃんとして長男を頼ってないか」と問いかけます。

 

これ、我が家でも身に覚えがありすぎる事態です。11歳の長男の下は9歳次男、8歳長女、5歳三男。このお宅よりは年齢的な余裕はありますが、多忙で家に居ないこともある夫をあまり頼れないときには私の代わりに長男にあれこれと責任のあるお世話を依頼することもよくあります。自分の中でつい「お兄ちゃんがいるから大丈夫かな」という気持ちがどこかにある。頼っているんだなぁ…と。

 

もちろんお兄ちゃんとしてお手伝いをしてもらうことそのものが悪い訳ではないと思います。ただ、尾木ママは復職した後に長男のお兄ちゃんとしての役割が増え、気づかないうちに負担が増えている可能性はあるかも、と指摘していました。

 

コミュニケーション不足からのすれ違い?

お母さんの多忙と長男くんの負担の増加、ここから、コミュニケーション不足が起こっていないか、と尾木ママは続けます。長男くんが例えば「お金がほしい」と伝えるような言動があったときにお母さんが忙しさから「後でね」と流してしまっていたりして正面から長男くんを受け止められないことはなかったか、と。お金を持ち出す行為は受け流してしまうことで長男くんが「聴いてもらえない」と思い、自分で動いてしまった結果かもしれない。

丁寧なコミュニケーションに時間が割けなかった結果、長男くんが自分で行動を起こしてしまったとしたら、疑ったり問いただしたりするのではなく長男くんの声をゆっくりと聴く必要があるようです。

 

対応策①「どうしたの?」

おうちのお金に手をつけてしまった長男くんに対して親としてつい問いつめたくなってしまうかもしれません。状況証拠から恐らくは長男くんが人の物に手を付けているのは間違いなさそうだったとして「あなたが取ったの?」「お金を取ったのはあなたじゃないの?」と聞いてしまいたくなるかもしれませんが、尾木ママはそれをNGと仰っていました。

狭い質問ではなく広い質問を

質問の内容を狭めてしまうと子供は答えに困窮し、結果「知らない」とか「わからない」と黙してしまう可能性が高いそうです。これ、我が子に対しても実感のあること。特に多弁ではない男の子の場合どう答えてよいかわからなくなったときに短い言葉や声にならない言葉で会話を途切れさせ、そこから感情を閉ざしてしまいがち。

 

「犯人はあなたでしょう?」という回答がYesかNoしかない狭い問いではなく、「どうしたの?」と広く受け止められる言葉を投げかけることでそこから本人の言葉を引き出していくことで長男くんの抱えていた問題行動の原因となる気持ちが少しずつ見えてくるかもしれません。

この傾聴には私のブログに何度も登場しているこの本がやっぱりお勧めです。

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

 

 この本について実践してみた過去記事はこちら。

かなり厚いですが、章に沿って少しずつ自分のペースで子供たちの気持ちを引き出すためのメソッドを実践できる1冊です。

 

心の声に耳を傾ける

「あなたでしょう」と決めつけたり、「お金を取るのは悪いことだ!」と決めつけてしまわずに丁寧に子供の気持ちに寄り添って声に耳を傾けることで少しずつ子供が抱えていた言葉にならなかった色々な気持ちが見えてくるかもしれません。

 

「お母さんが忙しそうだったから自分で借りてしまった」とか「自分で考えなさい、って言われたからそうしたんだよ」とか、子供なりの事情が出てくるよと尾木ママも仰っていました。

 

共感と説明、そして相談

そうやってやっと言葉にすることができた子供なりの事情を頭ごなしに否定することなく「そうなんだね」と受け止め、「そんな気持ちだったんだね」と共感する。そして、お母さんにはお母さんの事情があることを説明し、どうしたら良いかを一緒に考えていく。

 

問いつめられて「知らない」と言ってしまった長男くんは「お金を取るのはやってはいけないこと」だというのはわかっているはずです。それでもその問題行動に至ってしまった。そこに必要なのは叱責や矯正ではなく、言葉にできなかった声に耳を傾け、お母さんの事情も丁寧に伝え、家族として協力していけるための対策を一緒に考えていくことなのだと思います。

 

対応策② お母さん自身の自己管理

もう一つ注意しなくてはならないこととして尾木ママが挙げていたのは「お母さん自身の自己管理」でした。

お金を取られて「いるかもしれない」、という不確定な状態になってしまっていることの問題点を指摘し、子供がもし手を付けたらすぐに気づくことができるような自己管理が必要だと仰っていました。ごもっとも、ですよね。私も片付けがそもそも苦手なうえに自宅に帰ってから慌ただしくカバンをそこらへんに放り投げてしまうこともよくあるのでこれは注意しなければと反省です…。自分の財布に1円単位で今いくら入ってるかも把握しきれてない…要注意です。

 

対応策③ 頼り過ぎない

弟妹がいる場合、親は多忙から上の子のことを頼りがちになりやすい、と指摘されていました。お手伝いやお世話が情緒や家事育児スキルの習得のためのメリットになる部分もあるだろうとは思いますが、あまり頼り過ぎないよう意識する必要はあるのではないか、と尾木ママも指摘されていました。

特に思春期やその入り口にいる男の子は口数が少なく負担に感じていてもそれを表に出さないケースも多いのでより注意が必要だとのことです。

長男もまさに前思春期、いつも頼りがちですがそれが負担になり過ぎてないか注意していかねばとまたまた反省です。

 

犯罪の目なのでは?

番組内ではTwitterなどで寄せられたリスナーの声として、「これは犯罪の目なのでは?」という質問が来ていました。尾木ママはこれを「全く違います」とバッサリ。

家庭の中だけで起こっていることであればそれが犯罪に繋がるということはまずない、と仰っていました。

気になるようであれば、学校など自宅外の場所で同じような行動がないかは確認した方が良いとアドバイスされていました。学校の備品や友達の持ちものを引き出しなどに入れてしまうなどの行為が無いか。もしそれがあれば問題の対処法はまた変わってくるのかもしれませんが、もし自宅の中だけで起こっているのであればこれは犯罪に繋がる話ではなく「親子関係の問題」だとお話され、提示されたようなゆっくりとお話ししたり負担を軽減したりするような長男くんの気持ちに寄り添っていく対応を勧めておられました。

 

便利に使われちゃう「コミュニケーション不足」「愛情不足」…

ここからは私の感想です。

お金を取ったのがコミュニケーションが足りなかったから。

「コミュニケーション不足じゃないですか?」「愛情不足じゃないですか?」これ、子供の問題行動に直面したときに親が言われる一番耳が痛い言葉ではありますよね。そして問題を抱えた子について保育園幼稚園や学校で指導者側から飛び出してくることも多い言葉でもあります。働くお母さんには本当に身につまされる、ぐさっと刺さる言葉。

便利なんですよね、問題行動の原因を「おうちにあるんじゃないですか?」「コミュニケーションが足りないんじゃないですか?」「接する時間が短いんじゃないですか?」って投げてしまえば保育や教育の現場に原因は求めなくて済むから。

私も長男が学校に行けなくなったとき担任からまず言われました。

「寂しいんじゃないですか?」「親子で過ごす時間を増やしてみたらどうですか?」

 

結果から言うと長男の不登校の原因は担任だったので的外れな助言だったのですが、親子で過ごす時間を増やし、私が長男の言葉にゆっくり耳を傾けることを強く意識し始めてからやっとその原因が少しずつ見えて来たのも事実です。私や夫が日常的に長男のうまく言葉にできない気持ちを汲み取るような傾聴に時間を割けていたら不登校に至るまえに気づくことが出来ていたかもしれない。

 

子供の問題行動があらわれたとき、その原因がすぐにわかることの方が少ないかもしれません。原因はコミュニケーション不足かもしれないし、そうではないかもしれない。

短絡的に「愛情不足だろう」と結論付けて親のせいだけにしても何も解決しません。乱用されるこの言葉に不快感も懸念も覚えます。

 

ただ、今回のお悩み相談に関して言えば尾木ママの出したこの結論、私は的確だったんじゃないかと思うのです。適当に責任を親に投げているのではなく、ゆっくり耳を傾けてあげればきっと解決するだろうという見通しを感じられたからです。傾聴を通してもしかしたらコミュニケーション不足以外の長男くんが抱える問題が見えてくる可能性もあるのかもとも思います。

 

寂しいから、お金を取る?

もう一つ感じたこと。寂しいから、親が話を聞いてくれないからお金を取るなんておかしいと思う方もいらっしゃるかもしれません。自分も親にあまり構ってもらえなかったけどお金なんて取ってない、という方も。

 

ここ、イコールで語るのは危険だと思うんですね。「子供の話をちゃんと聴かないとお金を取る子になるよ」ではないんです。この相談のなかの長男くんの抱える問題がたまたま「お金を取る」という形の問題行動として現れてしまった、ということだと私は思います。

 

これまで私のブログの中でもたびたび子供の問題行動については触れてきました。

子供たちは自分の中に何かしらの問題を抱えた時、それを色々な形で表出させます。爪かみや自傷行為などの自分に向かう形もあるかもしれませんし、おねしょやお腹を痛がるなどの体の不調として出てくるケース、暴言や学校での態度が悪くなったりという不適切行動として出るケースもあり得ます。

その行動そのものを抑えても子供たちがどんな問題を抱えていたのかは見えないままです。そしてその問題をお腹の中に隠したまま大人になってしまうことはとても危険です。爆弾としていつ爆発するかわからない。

 

問題行動は一つのサインです。

今回のお悩みのケースだと「お金や物を取る」という行為として現れた子供の問題を早い段階で丁寧に耳を傾けることで引き出し、行動そのものを否定することなく行為がなくなっていくまで寄り添っていくことで将来の爆弾の芽を一つ摘めるのかもしれません。

 

おわりに

「子供がお金を取った」その行為にもし直面したら、犯罪者としての未来がちらつき、親として恐れおののいてしまうかもしれません。ショックで子供に辛く当たってしまうかもしれない。

でもきっと、一番しんどいのはその行為を親に知られてしまった子供なんだろうと思うんですね。小さな体で、一番大好きな人を悲しませたり、怒らせたりしてしまった現実に直面している子供たちにどこまで寄り添ってあげられるのか。

問題行動に直面するのは親としてとても辛いけれど、でも将来に問題を残さずに済むチャンスを与えられているのかもしれない、と私は思います。しんどさを配偶者や親しい人たち、ネットでも構わないと思う、子供以外の色んな相手にうまく吐き出しながら、子供たちに寄り添っていける親でありたいと改めて思いました。

 

※余談ですが、いつでも完璧な親は無理です。先日のエントリでも触れましたが、3割できてれば上々、そのくらいの気持ちで7割できてない自分に自分で寄り添ってあげながら今日もぼちぼちがんばっていこうかなと、そんな感じです。

我が家の本棚から、歴史漫画を紹介します

めずらしく大河ドラマを観てます。どれ以来だろうかと考えてみたけど想いを馳せたところで宮沢りえちゃんの豪姫が浮かんでいやそれ大河じゃなくて映画じゃなかったかとか思う程度に記憶が錯綜するくらい長いこと観てなかった気がするのだけれど、それは私が戦国時代の歴史にとんと興味が無いから。

 

真田丸にしても時代背景とか全然わかってないので先日の織田信長さんがなんかとても怒ってるシーンにしても

こんな程度です。

でも別に歴史そのものに興味が無い訳でもなく、興味のある分野に関してはやたら読みあさっているので日本史でも世界史でもとびとびですごく詳しいところと全く知らないところがある感じだなぁと思いながら本棚を眺め、歴史系の漫画が意外と多いことに気づいた朝でありました。

 

ハードカバーは重くてかさばるから図書館で借りたり手放したりしてしまってるものが多いのだけど、コミックは子供らがそのうち興味を持つかもと思って残してるものが多かったんだなぁと。

 

というわけで今日は趣向をかえて我が家の本棚の歴史漫画を紹介してみようかと思います。

 

池田理代子ベルサイユのばら

王道です。オスカル様です。小学生のころ従姉のおねえちゃんの本棚から借りて読んだときの衝撃、バイトするようになってすぐに大人買いしたあの日を思い出します。

 

池田理代子さんはこれが多分歴史ものとして一番有名なんだろうとは思うんですが、他にも「栄光のナポレオン」や「女帝エカテリーナ」「女王エリザベス」などの世界史ものも多く、同時期に実在したそれぞれの人物が別の作品に登場していたりしていて、歴史の横のつながりを自然と理解することができたりもします。

モンストで「ナポレオン」の名前を知った次男が先日本棚の前に座って一生懸命読んでました。ルビがふられてないのでちょっと難しかったかもしれません。

 

エカテリーナのかつての恋人のその後を描いた「天の涯まで〜ポーランド秘史」も世界史などであまり登場しないマイナーな部分ですが好きな作品です。

天の涯(はて)まで―ポーランド秘史 (1) (中公文庫―コミック版)

天の涯(はて)まで―ポーランド秘史 (1) (中公文庫―コミック版)

 

池田さんの作品は西洋のものだけでなく「春日局」「聖徳太子」などの和ものもありでかなり読みあさりました。

 

里中満智子「天上の虹」

日本の歴史ではまったのは日本書紀の時代を描いた里中満智子さんの「天上の虹」 。

天上の虹 全11巻セット (講談社漫画文庫)

天上の虹 全11巻セット (講談社漫画文庫)

 

中大兄皇子の娘である持統天皇の生涯と描いた作品です。資料の少ない時代なので作者の空想の部分もかなりあるんだろうとは思いますがこの時期を扱う漫画は少ないので今も本棚に残してあります。たしか高校生の頃から買い始めて完結したのはつい最近。自分が鸕野讃良皇女(持統天皇)と一緒に成長していったようなそんな思い入れ深い作品でもあります。

「天上の虹」のスピンオフ的な作品として「長屋王残照記」や「女帝の手記」などの続編も出ていて、教科書で有名な平安時代の藤原家の隆盛に繋がる部分を読むことができます。

 

長屋王残照記 (1) (中公文庫―コミック版 (Cさ1-16))

長屋王残照記 (1) (中公文庫―コミック版 (Cさ1-16))

 
女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語 (1) (中公文庫―コミック版)

女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語 (1) (中公文庫―コミック版)

 

 

安彦良和「ナムジ・神武」

持統天皇よりさらに過去、神話の時代を描いているのが安彦良和さんの「ナムジ 大国主」や「神武」。

 

古事記の昔のお話です。

初めて読んだのはかなり前だったと思いますがガンダムのあの絵柄で描かれた神話の神々の美しい絵にもかなり惹かれたのを覚えています。

 

安彦さんの作品では近代ものの「虹色のトロツキー」も好きです。

 

山岸凉子「レベレーション(啓示)」

まだ1巻しか出ていないですが「日出処の天子」の山岸涼子さんが描くジャンヌダルク、即買いました。

レベレーション(啓示)(1) (モーニング KC)

レベレーション(啓示)(1) (モーニング KC)

 

1巻はジャンヌが村を出るところまで。 山岸さんらしい切り口、続刊を心待ちにしてます。

前述の安彦良和さんもジャンヌダルクを描いています。こちらもお勧め。

ジャンヌ

ジャンヌ

 

 余談ですが山岸さんはバレエ漫画も良いですよねえ…

 

よしながふみ「大奥」

男女逆転の大奥をえがいたよしながふみさんの「大奥」
ファンタジーの要素がかなり強いですが男女が逆転しているという部分以外の史実はかなりしっかりと描かれている印象があります。よしながさんの美しい絵で描かれる見目麗しい男子を楽しめます。

大奥 1 (ジェッツコミックス)

大奥 1 (ジェッツコミックス)

 

 

こうの史代「この世界の片隅に」

以前このブログでも描いたことがある、こうの史代さんの戦時中の広島を描いた作品。歴史ものというには近すぎる過去かもしれませんが。

私がこれまで読みあさった戦争に関する漫画の中で唯一と言えるかもしれない「戦争のなかの日常を丁寧に描いた作品」だと思います。戦争を扱う作品にどうしても感じてしまっていた、登場人物たちがなぜか8/15に終戦を迎えることを知っているようなそんな未来人的な雰囲気。それををまったく感じない、戦争のなかで私たちと同じように怒ったり泣いたり笑ったりする家族のさまを描いた名作です。

この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)

この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)

 

 こうのさんの作品は先に実写化されている「夕凪の街 桜の国」もとても好きです。

原爆を扱う漫画にありがちな凄惨さや悲惨さを前面に出した感じではなく、淡々とした日常に戦争や原爆がじわじわと影響を及ぼしていく様子がこうのさんのやわらかい絵と印象的な言葉で丁寧に綴られています。

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

 

 

竹宮惠子「紅にほふ」

著者竹宮さんのお母さん姉妹をモデルに戦前から戦後までの満州花柳界やその周辺の様子が描かれています。実在の身内からのお話が元になっているだけあってかなり細かい生活の様子を感じられる作品です。

紅にほふ (1) (中公文庫―コミック版)

紅にほふ (1) (中公文庫―コミック版)

 

満州での庶民の生活の様子や戦況が段々と悪化していくさま、終戦直後の混乱や終戦時の立場により違っていた日本への引上げの実情などが詳しく描かれています。

 

おまけ

私の本棚の隣に並ぶ夫の本棚は私よりさらに歴史漫画が詰まっています。そちらから少しご紹介。

横山光輝項羽と劉邦」「三国志

夫が中国の歴史に目覚めたとっかかりとなったようです。ここから夫の中国歴史オタクへの道が始まったのだなぁ…

 

原 泰久「キングダム」

中国の春秋戦国時代を描いた作品。これはアニメ化もされてたみたいで息子らも一緒に観てました。

 

王欣太蒼天航路

中国の歴史続きで三国志もの、曹操孟徳のお話だそうです。かなりお気に入りの様子でトイレとか寝室とかによく置き去りにされています。極厚という分厚いのが本棚のかなりの場所を占めているようです。

極厚 蒼天航路(1) (KCデラックス モーニング)

極厚 蒼天航路(1) (KCデラックス モーニング)

 

 

宮下英樹センゴク

センゴク」「センゴク天正記」「センゴク一統記」とかなりの巻数があるようで本棚にずら〜っと並んでいます。

センゴク(1) (ヤングマガジンコミックス)

センゴク(1) (ヤングマガジンコミックス)

 

これ、実は私が夫の蔵書の中で唯一読んでいる作品です。

戦国時代の歴史に全く興味を持てない理由を昔夫に問われたときに色々考えてでた結論が「歴史を男の人しか動かしてないから」

それまで読んで来たいろんな小説や観て来た映像ではどれも女性は政治の道具に使われるだけで主体的に動いている姿をあまり感じた記憶が無く、男性主導の時代というイメージでつまらないと感じていたような気がします。茶々様のお話なんかも知らなかったわけではないですが全体的に男性ばかりが活躍しててあまり興味が向かなかった。そんな私に「じゃあこれなら」と進めてくれたのが「センゴク」でした。

絵柄的にも男の人向けの漫画らしく馴染めない部分も結構に多いのですが、茶々様はじめねねやお市の方など知っている女性がなんか良い感じに人間臭く描かれていて新鮮でした。

 

おわりに

ながながと紹介してきました。たいていがこれをとっかかりにそこから色々と読んだり映像を観たりしていく導入になっていった作品です。子供たちが既に読んでいるものもあればまだのものも。歴史ものにつきものの男女の性愛を描いているシーンが露骨なものも含まれているのでその辺は様子を見ながらという感じです。

内容が史実に忠実でないものやファンタジーの要素が強いものも含まれていますが私は導入になる漫画は必ずしも正確でなくてよいのかなと思っています。興味をもつ、そこから広げる、ということが大事なのかなと思うのです。その結果あの漫画のあの考察は違ってたんじゃないかとかを考えることもまた楽しみの一つなのかなと。

歴史ものの好きな夫もよく映像化されたものを観ながらその表現に苦笑いしたりと思いと違う様子のこともあるのだけど「その時代に生きてた人はもういないわけだから誰が正解かなんて考えても仕方ない、人により色んな解釈ができるところも歴史ものの面白さだから」と言っていてなるほどな〜と。

100ゼロ思考、正しいのは何か、とつい考えがちな私にとってはファジーさを受け入れる柔軟さを培う上でも色んな人が色んな視点から描いた歴史ものをあれこれと読んでみるのは良い訓練になっているのかもしれないなぁと考えたりしています。

ミニマリストに学ぶ「リセット」の概念

まとめ記事「ADHDの衝動性悪化要因を教えて下さい」

Twitterのお友達Cookさん主導のまとめ記事「ADHDの衝動性悪化要因を教えて下さい」にいくつか私のコメントも使って頂きました。

 

この中にはあぁ確かに!と思うものや自分には当てはまらないものも色々。思い当たる節のある方には参考になるものもたくさん詰まっていると思いますのでぜひ。

たくさんのご意見の中で私が「これは!」と思ったツイートがありました。それが「部屋が散らかっていると衝動性が悪化する」というもの。

 

「部屋が散らかっている」

私の家は4人の子供たちと一緒に暮らしているので仕方が無い部分もあるのだけれどしょっちゅう家が「どろぼうでも入ったんですか?」という状況になりムキーっとなりながら私が主導でお片づけが始まります。

かくいう私もそもそもお片づけそのものがあまり得意ではないので気を抜くと日常に使うものがどこにいったかわからなくなって探すとか、台所が散らかったまま出かけるとか、子供らの友達が来ると聞いてからわ〜〜っと慌てて取り繕うようにお片づけしたり。

 

ラベリングで目覚めたお片づけ

そんな自分が嫌い、自尊心はだだ下がり、これではいけないとここしばらく、ブログでもTwitterでもあれこれ言ってますがラベリングをしてお片づけをする、というのにはまっています。台所や洗面やダイニング等、家族との共有スペースから取り掛かっているのですが、頻繁に使うもの以外引き出しや戸棚に整理していれている整然とした環境のなかだとすごく落ち着くんですね。イライラも起こりにくいし物を探す手間もかからず家事もスムーズに進む。

自分がこれまでいかに適当に家を片付けてしまっていたかを痛感し、勉強が必要だ!と夜な夜なお片づけについてのあれこれをネットや書籍で読みあさっていました。

 

お部屋の画像を探す日々

読みあさる日々の中、Roomclipやインスタグラムのお部屋の画像を色々と見ていてあることに気づきました。おしゃれに飾った部屋のガチャガチャしたあの感じは自分には無理だなということ。

ナチュラル志向のお部屋に多い、天上から色々下げてたり棚に小物がたくさん並んでいたり、生活に直接必要の無い物が視界に入ったり、色がたくさんある感じ。おしゃれさからいくと素敵なんだろうなと思いつつ、もし自分がその部屋で暮らしていたら多分落ち着かないんじゃないかと。

そうやっていろんなお部屋の画像を転々としていくなかでいいなと感じた画像についているタグのなかに共通していたのが「#シンプルライフ」「#ミニマリズム」「#持たない暮らし」……

 

行き着いた先の「ミニマリズム」「シンプルライフ」

はてなでもこれまで話題になっているミニマリストのみなさんのブログを炎上してるときにちらっと拝見したり、捨て変態を自認するブロガーゆるりまいさんのサイトは時折拝見していました。「必要最低限しか持たない」という暮らしにはにわかに憧れつつもある種のちょっと宗教っぽい思想的なものへの拒否反応や「いざというときに買う余力はないから」という経済的な事情もあり「ミニマリズムは自分には無理、無縁」とバッサリ線を引いた異世界のことと考えておりました。

 

が、少ない物を厳選し、しまう場所を決め、視界に入る物を最小限に抑える、という考え方そのものは私が求めていたものと同じ。参考にできないはずはない!とこれまで食わず嫌い的な心境であったミニマリズムの世界へ足を踏み入れ、ミニマリストを自称される方のブログをあれこれと渡り歩く日々が始まりました。

 

そこで出会った「リセット」

もともとお片づけが苦手な自分がミニマリストの方と同じような部屋に住むのはまず無理、だけど真似できるところや学べるものはあるのではないかと目を光らせてあちこちを覗いていたところで「リセット」という言葉に出会いました。

 

学術的な言葉ではないので共有の定義があるわけではないと思うのですが、シンプルライフ界隈の方のなかでは

リセット=部屋を元の状態に片付けること

という意味合いで使われていることが多いようです。

 

キッチンやリビングなど日常生活をしていたらつい散らかってしまう場所を、元の状態に戻す行為。これ、お片づけってそもそもそういうものでしょう、という感じはするんですがそもそもそれが苦手な私にとってはこれまでは片付けるといってもとりあえず整然とした感じになっていれば良し、という感じで、どこからどこまでやればいいのかすらわかってなかったんですね。目の前がきれいになればいいやという感じで引き出しになんでも放り込んで終わり、とかその時の気分で適当にやっていたような気がします。

なので一応適当に目の前が整然とした感じになっても終着点がどこなのかよくわからず、疲れたり時間切れで終了、達成感もなく、あとからどこにしまいこんだのかわからなくなって家族から苦情が出たり…。

 

そんな適当で失敗続きのお片づけを卒業して、定位置を決めて元の場所に戻す・リセットする、と考えることで「ここまでいったらお片づけ完了!」という明確な指針を与えてもらったような気がしたのです。

 

子供たちと「リセット」

物を使ったら元に戻すとか、汚れ物を適切な場所へ移動させるとか、こまめに意識して動けば一つの作業ごとにリセットされていくものなのかもしれないけどバタバタ作業したり子供たちが一緒だったりするとなかなかに難しい。

 

そんな生活のなかで「ここまでしたらOK」の状態を決めておくこと、それを家族と共有しておくこと。そうすれば子供たちにも曖昧な言葉で指示を出さずに済むからお互いの気持ちも波立たずに済むし、それが今日もできた、というスモールステップの満足を一緒に得られる。

視覚優位な傾向があればリセットの状態の写真を撮っておいて子供の目のつくところに貼っておいたり、指示と一緒に提示したりするとより伝わりやすいかもしれないなぁ。

 

ブログでリセットのことを書かれている方の中には、時間を決めているという方もいらっしゃいました。

毎日6時、とか、夕食の前、とか。リビングは何時、キッチンは朝食後と夕食後、お風呂場は家族が入り終わった時、とかタイミングや誰がやるかをあらかじめざっくり決めておくと子供たちもそれを意識しやすいのかもしれません。

 

リセットされた朝のキッチン

まだまだ家中全部をそうやって管理するにはいたっていません、ハードルをあげればしんどくなりそうだからできるところからとりあえずがモットーです。

とりあえず始めているキッチン、前の夜、寝る前に数分がんばってリセットした状態で寝るようになってから、早朝の夫のお弁当作りが格段に楽になりました。

それまでは前日の洗い物がまだシンクに少し残っていてそれを片付けることから始めなくてはならなかったり、その洗い物に邪魔されてランチジャーの備品が見つからずにバタバタしたりと段取りがうまくいかなかったりしてめんどくささが先行していたんだけど、リセットを意識するようになってからはかなりそのめんどくささが減りました。これは素晴らしい!

 

頭の中もリセット…

整理整頓が苦手なのに目の前がごちゃごちゃしていると落ち着かない、おうちもそうだけれどこれは脳みその中身も同じだなぁと思ったりしています。

私はつい色んな考えにとらわれてそればかり考えて止まらなくなったり、今考えても仕方が無い心配ごとや不快な出来事の記憶にとらわれて切り替えがなかなかできずに表情が硬くなり夫に指摘されたり。

脳みその中が散らかってるんですね、それをお片づけできてない状態で別のことを始めようとしてるからうまくいかない。

 

お片づけするのが苦手なのはもうしょうがない。でもリセットを意識することで「はいこれはもう終わり」って自分の脳みそに指令を出す訓練が必要な気がします。今考えても仕方ないことを考え続けて周りに悪い影響が出てしまわないように。

 

脳みそのリセットはどうやったらいいんだろう。とりあえず今は小さなチョコを口にいれて「はいここまでよ、リセットよ」って自分に言い聞かせたりしています。

 

最近はコンビニに寄ったついでに買えるロイズのチロルチョコがお気に入りです。  

 補足
そういえば脳みそリセットの方法として支援の先生がトランポリンやバランスボールを子供に勧めてくれていたのを思い出しました。大人も身体を動かす刺激がリセットボタンの役割を果たしてくれる傾向もあるのかもしれない、今度やってみようかな。

「りゆうがあります」大人にも子供にも。

素晴らしき合作、まうどん×ダイス先生コラボ

Twitterでなかよくさせていただいているまうどんさんと心理士のダイス先生のコラボブログ2作目がアップされていました。

 

止めること・叱ること | マンガ蒲田家★定型外家族

 

発達障害に限らず、子供と接するときの大事なことが書かれているとても参考になるマンガ、前作(わがまま?聞き分けがない?大人が子どもに「寄り添う」ということ | マンガ蒲田家★定型外家族)と合わせてぜひご一読を。夫にも読んで欲しくてURLを送りました。

 

心理士のダイス先生が普段Twitterで紹介されているちょっとした声掛けのコツや気持ちの持ち方、それをやんわりしたまうどんさんのイラストで見える化されたこれら作品、まうどんさんの絵がまた小憎らしくわかりやすい…!絵を描く才能ってすごいなぁと毎回感動してしまいます。もうこのコラボで育児本出して欲しい…。

 

今日のダイス先生のツイートから

このツイートを始点にした連続ツイートの内容、肯定的な言葉で端的に指示を出すスキルについて書かれています。気になる方はぜひ。

 

子供たちを育てていて、つい「ダメ!」「走らないで!」という否定的な言葉を使いたくなる。でもそれで子供たちがスムーズに指示に従うかというとそうでもない、イライラが募る…育児あるあるだなぁと思います。

シンプルな方法があるのだけれどつい自分の口から出てしまうのは否定的な言葉だったり、感情的な抑揚を含む表現だったり。

 

でもそのダイス先生が最初に紹介したまうどんさんの漫画の中で書かれているように、感情的な声かけで子供たちを持続的にコントロールするのは無理な話。長期的に見て違う手だてを用意する必要がある。

 

子供たちの「りゆう」

そんなことを考えていたら、チャビ母さんのこんなツイートが流れてきました。

 

うん、子供たちの行動にはちゃんと理由があるんですよね…。ただ本人がその理由を意識しながら行動を起こしていないことも多い。本人すら意識していないその理由に対して、周囲の大人がどこまで寄り添ってあげられるか、その理由の部分を否定せず受け止め、行動の部分を別の行動に転換するためのフォローをしてあげられるか、ここが難しいんだろうなと思います。

 

大人の「りゆう」

子供たちの行動に隠れた理由がちゃんとあるように、私たち大人の行動にもしっかり理由があるんだろうな、とも思うのです。

何かの問題のある行動を子供がとるとき、例えば店内で走っていたら。歩いて欲しい、止まって欲しい、それを子供に求める理由はなんでしょう。

 

走って転んでは危ないから

物や人にぶつかって壊したらいけないから

店内で走るのはマナーが悪いから

店内で走るような子供を育てている親だと思われて体裁が悪いから…

 

トリガーになる「りゆう」

自分の過去を振り返った時、子供を叱る中で自分の中でどうしても許せないこと、過去のトラウマ、周囲からどう見られているかの体裁、そんな、子供そのものと直接関係のない自分の中の理由が自分の中に塊として存在しているのに気づいたことがあります。

 

躾ができない親だと思われたくない、宿題を管理できないような親だと思われたくない、忘れ物をさせるような親だと思われたくない、こんな親でありたい、このくらいできる子であってほしい、こんなことしない子であってほしい…

 

子供の言動に対して穏やかでいられないとき、自分の中の普段意識していない何かしらの要素がトリガーとなって自分の感情を高ぶらせ、不適切な叱り方を引き起こしてしまっているのかもしれない。

 

意識していないけどそこにある「りゆう」

子供たちが自分たちの色々な行動にそれぞれの理由を意識しながら生きているわけではないように、大人である私も、自分の行動の理由を常々考えているわけではないのだなぁ…と改めて思い知っています。

 

前述のブログの漫画の2コマ目にあった「期待」もその一つなのかもしれない。こうしてくれという自分の中にある勝手な理由。3コマ目のように、いくつもある私の中の不条理な理由は太い鎖で私を縛ってグルグル巻きにして私の色々な記憶や感情を引き起こします。

 

3コマ目の最後の一言「たぶん完全に自由になるのは無理でしょう(私もです)だから、そのことを自覚する

 

子供たちの隠れた理由を私が寄り添い意識するように、私もまた自分の行動に隠れた自分の中の理由にを自覚することで、自分で寄り添ってあげる必要があるのかもしれません。

 

おわりに

色々つぶやいてたら、まるむし(id:marumushixさんが返信をくれました。

 

ぐずぐずにも言い訳にも、その子なりの理由がある。そしてそれにイライラメラメラしちゃう自分にも、きっと自分なりの理由がある。

 

それぞれの「りゆう」を意識できる自分でありたいなと、改めて思うのです。そしてそれを自分に課すことはやっぱり重たいので意識しときたいのは

です。

 

おまけ。

今日のタイトルはこちらから。りゆうがあるんだよ、どんなことでも。

 

子供たちがつい指示に従ってしまう不思議な仕組み 〜タイマーとタイプ文字〜

今日は、うちの子たちを観察していて思うことを。

 

前回の記事

suminotiger.hatenadiary.jp

でラベリングのことに触れました。目立ち過ぎない程度のラベリングを目指して家の中をちょこちょこと工夫する日々です。

 

テプラかピータッチか…まだ機材の導入には至っていないのですが、近いうちに手に入れたいと思っている理由があります。それがこの記事の中でも触れていた本多さおりさんの本の中に書かれていた「手書きよりなぜかタイピングされた文字の方が従いやすい」というヒトの習性らしいもの、これをぜひ活用したい。

 

と思っていたらTwitterのお友達ニャンボスさんが、お子さんに対してタイマーを使うメリットについて書かれているツイートを発見、そうそうタイマーだとなぜか従うんだよね〜と。

 

タイマーの不思議

我が家では子供用に1台タブレット端末を用意しています。子供たちそれぞれが、マインクラフトなどのゲームや勉強系のアプリを楽しむため。1台しか無いので占有にならないように、また使いすぎにならないように、1日の持ち時間が決まっていてそれぞれが時間を決めて予約を入れる仕組みを作っています。

それとは別に私のスマホにだけ入れているアプリで遊びたがることもあります。

 

それぞれの端末の貸し出しは基本的には時間を時計を見ながら子供たちそれぞれに管理してもらっていますが、中には特性上それがスムーズにできない子もいるので私が時計を見て声をかけることもあります。時間を超過したとかの揉め事になるのを防ぐためです。

 

ただ私自身も時間の管理はそう得意でもなく、また家事をしながらうっかり過ぎてしまうこともある。なので貸し出す段階で「何分間ね」と確認して端末のタイマーをセットしてみたことが何度かありました。

 

時間が来てピピピピピと端末のアラームがなると、けじめをつけるのが苦手な次男がパッと顔を上げたんですね。んでゲームをさっと終了して私のところに端末を持って来た。これまで何度も何度も声をかけてもすぐにやめず、時に大きな声を出してやっと渋々やめたりしていた彼が、電子音の指示だとスムーズに従った。

 

偶然気持ちの区切りがつけやすかったのかなと思ったのですが、何度か同じことが続いたのでやはり、私が声をかけることと電子音の間にはなにか受け取る側の違いがあるようです。

 

なぜ電子音だと従うんだろう

何度声をかけてもやめなかったゲームを、なぜ電子音に止められたらやめるんだろう。これを紐解いたらもっといろんな場面に使えそうな気がする。あれこれ考えたり、Twitterやあちこちで色んな方と話したりしていて色々と見えて来たことをまとめてみます。

 

1、私の声かけの優先度がそもそも低い

私が日常的にやいやい言い過ぎていて「私の声かけ」の優先度合いがとても低いのではないかと。これは大いにありそうです。お母ちゃんがなんか口うるさく言ってる、というのが彼にとってはもう取るに足らない日常の、セミの鳴き声うるさいなっていうレベルになってるのかもしれない。やいやい言われることに耐えていればゲームそのものは続けられる、後から叱られるかもだけどそれはそれで先のことだし、って。

私の声かけそのもが彼にとってスルーしちゃって良いものになってしまっているのかもしれません、反省。

 

2、「今から勉強しようと思ってたのに!」

「勉強しなさい!」「今からしようと思ってたのに!」鉄板のやりとりなんだけど、これと同じ何じゃないか、とフォロワーさんからご指摘いただきました。なるほど目からウロコです。

心の中では「いつまでもゲームしてたらいけない」「時間になってるからやめないといけない」とわかってはいるけど目の前の楽しさにとらわれて続けてしまっている。わかってるけどやれてないこと(でもやろうと思ってはいるのね、ここが厄介)をわざわざ指摘されることへの苛立ちから、「わかっているのに口うるさく言われて腹が立つ」「声をかけられたからやる気を失った」と自分以外の要因があったという問題のすり替えを行うことでやるべきタスクをこなしてない自分の罪悪感から目を反らす。

 

この問題のすり替えのための生け贄みたいな存在に親をつかってしまう心理は自分にも身に覚えがあります。でも他人の誰にでもそれが適用されるわけではけしてなくて、自分の母親や夫、自他の境界線が緩んでしまっている相手に発動されやすい間隔のような気がしますがこれを考えるとまた長くなりそうなので一端保留。

 

やろうと思っていてもなかなか自分で区切りを付けられないときに、電子音がなる、画面が切り替わったりウインドウが現れたりとゲームの中断や視覚的な変化も与えられる、その、無機質な警告には「やろうと思ってたのに!」という苛立ちをぶつけることはできない。甘えが生まれない。

 

 

手書き文字が感じさせるもの

この視点から、ラベリングについても考えてみます。

手書き文字よりなぜタイプされた文字の方がなんとなく従いやすい、書かれている場所にものをしまいたくなる不思議、これも声かけと同じように文字から受ける感情が絡んでくるのかもしれません。

 

自分の感覚では、自宅のものに自分でラベリングをしているときに手書きとタイプ文字の差は感じません。書いてあるものを読み取って利用している以上の意味は感じていません。でも家族にとっては違うかもしれない。

 

手書きの文字には、書いた人が存在します。

それは自分かもしれないし家族かもしれないし、会社だと同僚や上司かもしれない。手書きで文字が書かれていたらその書いた人そのものを感じさせてしまう、それが、声かけとタイマーの違いでもある「相手が人か無機物か」の違いと同じなのかもしれません。

 

年賀状の手書きのメッセージが嬉しいと感じることがあるように、手書きの文字の向こう側に書いてくれた人のことを感じることの良い面もある。でもそれは逆に、文字により何かを指示されるときにその指示する相手の存在を強く感じさせる要素にも成りうるということなんだろうなと。

 

何かをしまおうと引き出しを見たときにそこにいつも口うるさい母親の字で「はさみ」と書かれたラベルが貼られていたら。その3文字は脳に届くときにはただの文字列ではなく「はさみはここにいれて」と母親がいつもの口調で言っているその顔や声という情報までセットにしてしまう力をもっているのかもしれません。そしてその指示が、時に書いた人に対するうっとうしさや甘えの感情を引き出す要素になり「物をそこにしまう」という本来の目的である自主的な行動の障害になってしまう。

 

場所を教えるためのツールと、わかっている人の背中を押すためのツール

私が自分で引き出しの場所を間違えないためのラベリングは、どんな文字で書かれていようと構わない、それは場所を示して混乱を避けるためのアイコンでしかないから。

私が寝込んだり出かけたりしているときにも同じ物を使ったりしまったりできる、という混乱を避ける意味合いでのラベルは多分それと同じ、ただ場所を指し示すもの。

でも私が片付けて欲しいと思って家族に向けて使うラベルはそれとは多分違うものなんだろうなと。

 

どこにしまったらいいのかはだいたいわかってる、片付けないといけないこともわかってる、そうした方が他の家族も助かることもわかってる。でもめんどくさくてついサボりたくなったり、他のことに気を取られておざなりになってしまったりしてしまう。そんな状態のときに、お母ちゃんを思わせる声や文字で動け動けと指示をされるのか、無機質な音やサインで気づいて自分の意志で行動を起こすための背中を押してくれるツールなのか。

 

おわりに

声かけとタイマーの電子音、手書き文字のラベルとタイピングされた文字、それぞれの違いはそれぞれが音や見た目以上の何を感じさせるかが鍵のように思います。

ゲームの時間のようにある程度自分で決めていけることと、お片づけのように自分以外の家族(我が家では主に私)が取り決めたことに従うよう求められていることとの違いはあるかもしれませんが、どちらのケースにしてもただ守るように求めることよりはなぜそうする意味があるのか(ゲームの時間を決める理由や、道具をどこにしまうと都合がよいのかなど)は端折らずに家族と共有する努力は同時進行で必要なのだろうとは思います。

 

ただ、その概念を理解したからできる、というほど簡単なものじゃない。だから私も含む世の父ちゃん母ちゃんが子供たちになんとか動いてもらおうと試行錯誤してるんだろうと思うのです。そこで口うるさく言い過ぎなくても自主的な動きに繋げられるような工夫、ツールを有効活用できたらお互いのストレスも減って、子供たちもガミガミ言われることもなく楽しく過ごせるんだろうなぁ、と。

 

もちろんゲームの区切りや片付けのように無機質なもののほうが家族の自主的な行動を促す要素に繋がるものもあるだろうけど、いつでもどこでもそれが通用するとは限らない。逆に人を感じさせる指示の方がスムーズに通るというケースもあるんだろうと思うし、その辺上手に使い分けて接していけたら自分も家族も楽なんだろうなぁ…いやそれがとても難しいから頭を悩ませているのだけれど。

 

最近の自分の目標はこれです。

お友達まうどんさんのブログ(わがまま?聞き分けがない?大人が子どもに「寄り添う」ということ | マンガ蒲田家★定型外家族)のマンガのなかで心理士のダイス先生が仰っていたこと。親としていつも完璧であらねばならない(そうじゃないとダメだ)、とつい思ってしまう100-0思考に陥りがちな私、「3割でいいんだよ」の呪文をいつも心の中で唱えてます。

 

 

TANITA でか見えタイマー ホワイト TD-384-WH

TANITA でか見えタイマー ホワイト TD-384-WH

 

Amazonの商品貼るとサムネイル画像に表示されることに最近気づいたので、それっぽく貼っとく。これ、文字が大きくていいなぁ。 

塩と砂糖とラベリング 〜構造化にいどむ日々

相変わらず構造化にいどむ日々です

子供たちにいちいち細かい指示を出すことに疲れた私が以前書いたこんなエントリがありました。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

 

何度も何度も注意してもその辺にぬぎ散らかされては片方行方不明になってしまうくつした問題をなんとかすべく奮闘した記録です。

 

このくつした用洗濯ネット、容量や置き場所など細かな調整を経て今は小さなバケツ型ケースに落ち着いています。こんな感じで小さなリニューアルや改良や風化を繰り返して、家の中での「構造化」に挑む毎日です。

 

今回、くつした用バケツのリニューアルと合わせてもう一つ解決したいことがありました。それが、ズボンとパンツを重ねたまま脱いで洗濯かごに入れてしまう案件。

 

これまでも何度も何度もバラして入れてとお願いしてきたのだけれど、めんどくさいのかやっぱり重なったまま、それをヨイショとバラしてから洗濯するのがほんとにめんどくさい。いや母ちゃんがめんどくさいんだからそりゃ寒い脱衣場でお風呂へ急ぎたいのにバラすのもめんどくさいよねえと思いながら、ここであきらめてなるるものかと同じ型の色違いのケースを買ってきました。

 

それぞれの底に、上から見えるように「くつした」「したぎ」と2種類の文字とアイコン的イラストをマジックで記入して脱衣場に。特に何も言わない状態でさくさくと下着と靴下がそれぞれのケースに入っています、しめしめです。

 

塩と砂糖とラベリングの力

このバケツ型ケースの導入、ただ入れ物を置いて「これに入れてね」と言っても多分効果はそう期待できなかったのではないかと思います。我が家で鍵となっているのはわざわざ書いた、文字とアイコンです。

 

ラベリングすること。

文字が書いてあることで「ココに入れる」というメッセージ性が強くなるのかなと。

 

おうちの中の構造化について考える中でこのラベリングの力を最近痛感しています。

私がこのラベリングに出会ったのは整理収納コンサルタントの本多さおりさんの著書。「しまいたくなる収納」と銘打たれたノウハウの中でラベリングについて触れられていました。

 

お片づけが苦手な私ですがなぜかラベリングされているとなんとなく導かれるようにそれに従ってしまいます、魔法にかかったみたいだと自分でも不思議になるほど。

私が仕掛けた色々なラベリング案に子供たちや夫もホイホイ乗っかってくれてるので私以外の人にもどうやら効果はあるようです。

 

このラベリングの効果を実感したのが、先日Twitterで「塩と砂糖を入れ間違えたことあるよね?」っていう話題が飛び交っていたとき。

 

注意欠陥な私は当然のことながらやったことがあった塩と砂糖の入れ間違い。でもそういえばここしばらくやってないなと気づいたんですね、そう、ラベリングしてから。

 

同じ型の調味料ケースに塩と砂糖を入れているのだけど、子供たちにもわかるようにとそれぞれに「しお」「さとう」と書いたシールを貼っていたのです。そのシールが私にとっても間違えないような目印になっていたのだなぁ。

 

ラベリングを工夫して

ラベリングするという種類の構造化が最近とても面白い。

それは私自身の困難をクリアにしていくことに留まらないから。

 

口で何度も同じことを言わなくてもいい。

おかたづけのストレスがお互いに減る。

子供たちにも夫にも、いつでも家のことを交代してもらえる。

口頭で指示を出すときにも相手に伝えやすくなる。

 

インスタグラムで「#ラベリング」でタグ検索すると色んな工夫が見られます。

テプラを使っているものやカッコいいシールタグを自作されている方も。そういえば本多さおりさんは著書の中で手書きで書いたラベルよりタイプされた文字の方が「ここにしまわないと」というメッセージ性が強く感じられると書かれていたので私も挑戦してみようかなと準備中です。

 

たくさん投稿されていた写真の中でも参考になる!と思ったのが名前だけじゃなく注意書きまでラベルにしてしまうこと。

ゴミ箱に「空き缶(第2水)」とものの名前に加えて収集日を追加したり、パスタポットに「スパゲティ(9分ゆでる)」とゆで時間が追加されていたり。細かい注意まで書いておくことで自分が忘れないよう意識することもできるし、家族が使うときにも迷いにくい。

 

ちょっとした一工夫でもっと使いやすくなりそうなラベリングに興味津々、あたたかくなってきたら家の中をあれこれいじりたくてワクワク。

 

テプラを持たない私はとりあえず100均の貼ってはがせるシールに手書きでラベリング。でもより強制力がありそうなテプラ…気になってます。

 

 こんなのあるのか〜。

 

 

 

 

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