いつも迎える、戦争を考える夏、今年は私にとって少し違うものでした。
毎年こうやって7月の終わり頃から戦争について意識を強めていたような気がします。
映画「この世界の片隅に」
去年と今年で違うことがあるとしたらその一つは、この映画の公開だったと思います。
原作に衝撃を受けた私が、映画アニメ化のクラウドファンディングという話を聞いて飛びつくのは自然なことでした。
幸運にも支援者として映画のエンドロールに名前を刻んでいただけたこと、それを子供たちと一緒に観に行けたこと。
この作品や原作者こうの史代さんが描かれた『夕凪の街 桜の国』の舞台でもあった広島の街、一度足を運んでみたいとずっと思い続けて来ましたが、映画の公開を受けてますますその気持ちは強くなっていました。
一路、広島へ
行きたい行きたいと思いながらも慌ただしい毎日の中でなかなか自分で計画しての旅行ができずにいたのだけれど、たまたま現地の友人たちと話している中で「この日ならみんなで集まれるよ!」っていう日があって、近くのゲストハウスの予約が空いてることも確認してくれた友人たち、よしそれなら行っちゃうよ!と勢いで1泊旅行を計画、夫に無謀だ無謀だと言われながら、子供4人を乗せて関門海峡を越えて広島を目指しました。
子供たちと観た初めての広島の街並み
友人の家の近くに車を停め、市電に乗って相生橋のたもとへ。
電車を降りた私たちの目に飛び込んで来たのは、何度も何度も映像や印刷物で目にして来た、原爆ドームでした。
原爆ドームへ
投下直後の写真では何もない中にポツンと建っている印象の強かった原爆ドームですが、今では周りに高い建物もたくさん建っているので想像より小さな印象ではありました。
それでもそこに集まるたくさんの人と周りの木々、これまで訪れたことのあるどの場所とも違う、不思議な感じのする場所でした。
立ち入り禁止の建物内には調査をされているらしい一群。友人曰く、補修工事などが定期的に行われているのでそのためではないかとのこと。保存のためにも相当な手を加え続けられているのが垣間見えます。
ドームの周りには私たちのような旅行者、海外の方もたくさん。
何かの課題なのかな、ドームの絵を描いている子たち、見学者向けのガイドをされている方、何かしらの署名を募っている方…
ドームのそばを流れる川、階段があり、川のそばに近寄れるようになっていました。
川遊びが好きな6歳の末っ子はささっとそこに降りて行って「川で遊びたい!」と無邪気に言います。
戸惑う私に現地の友人が「この川にはまだ遺骨が眠ってるかも」と教えてくれました。ご遺体はひきあげて火葬されたりもしているそうです。
小さな息子にわかってもらえるようゆっくり丁寧に、この川のことを話しました。
この街の人がたくさん亡くなった場所だから、ここは祈りの場所なんだよ、と。
毎年の平和学習や本などで原爆のことを知っている上の子たちは、ここがあの絵に描かれていた遺体で水面が埋まってしまっていた川だと気づいたようでした。
平和記念公園では1週間後に控えた6日の式典の準備が行われているところ。
テレビでよく見るあの白いテントが建てられ、椅子を並べるための目印の紐を張る作業が行われていました。
レストハウスへ
ドームの後に目指したのはレストハウス。
目的は『この世界の片隅に』のロケ地マップ。
(「この世界の片隅に」を支援する呉・広島の会 - 当会の活動)
私がレストハウスにいる間にも何人かの方が係りの方にロケ地マップの場所を尋ねていました。
何気なくお土産を見たりお茶を飲んだりして休憩していたら友人が「ここも被曝建物なんよ」と教えてくれました。
「被曝建物」この言葉をこの後広島市内を歩きながら、何度も見聞きすることになります。
資料館へ
子供達が全部見られるか…と不安になりつつ平和記念資料館へ。
本館は工事で閉鎖中だったため、東館のみ。
ひとまず1階の無料展示の企画展「1945年8月6日―原子爆弾による被害の概要」を見学。
色々な媒体で紹介されているしんちゃんの三輪車や焦げたお弁当箱、禎子さんの折り鶴など子供達も知っているものが並んでいました。
壁面では原爆投下後の街の様子や怪我をした人たちの写真などのパネル展示が。
中学生の男の子たちの洋服を着せた人形の横に立つ中1の長男、当時の子供達が今よりかなり体が小さかったことがうかがえます。
昨年の修学旅行で長崎の資料館を訪れていた長男やこれまで平和学習を受けている次男や娘にとっては学びにつながるだろうと思いつつ、小1の末っ子にはまだ早いだろうなぁと思っていました。案の定途中でかなり退屈してしまっていたのですが、それでもここで根気強く連れ回っていたことが後日大きく彼の中で意味を持つことになります。それはまた後ほど。
三男も退屈しているし有料展示の方はどうしようか、と思っていたところで次男がしんどそうにしているのに気づきました。彼は見たものをそのまま受け取るのではなくそこに乗っかる感情まで想像を膨らませてしまうことがこれまでにもよくありました。展示から大きすぎるものを受け取ってしまったんだろうな、ここから先はまた子供達がそれぞれ大きくなった時に、と思って資料館を後にしました。
商店街を歩いて、袋町小学校へ
友人の勧めで、袋町小学校平和資料館を訪ねました。(平和資料館)
こちらも被曝建物ですが、開館されたのは平成15年と比較的最近です。
鉄筋コンクリート造だった校舎の一部が残ったこの小学校、原爆の翌年授業が再開されてからは壁が塗り直されて誰にも気づかれないままひっそりと残されていた壁の「伝言板」」が平成11年に発見され、資料館として保存・展示されています。
原爆で焼けたススで真っ黒になった壁には家族や知人を探すためにチョークで書かれた名前や伝言がびっしりと書き残されていました。
街の中を歩く
広島の街をあちこちを歩きながら、娘が「ここにも」と街中に設置されている被曝建物を紹介するモニュメントに気づきました。
あっちにもあったよ、と教えてくれた娘。
そのあともあちこちで被曝の様子を知らせる展示やモニュメントが街の中に点在しているのを見て、改めてこの街が72年間の長い間ずっと、被曝という現実と一緒に歩んできているんだということを痛感しました。
一緒に歩いてくれた友人は被曝3世、恐らくはこの街を歩くたくさんの人の中にも、被爆者のかたやその血縁の方も多くいらしたんだろうな、と。
おわりに
『この世界の片隅に』の中ですずさんたちの暮らしの中に当たり前すぎるほど当たり前に戦争という現実がついてきていたように、この街には当たり前に被曝という現実が今も一緒に生きてるんだということ。
広島の街を歩いて見て一番印象が残ったのは、自分がそれに気づいたことかもしれません。
私が1年の間のたった1ヶ月くらいの間に意識している戦争ということや原爆のこと、でもこの街ではそうじゃないんだということを改めて感じました。
たくさんの被曝建物がある街、被曝体験を持つ人たちがいる街、その中にある、当たり前の暮らし。
もちろん、個人差も温度差もあると思う。いろんな思いがそこにあるんだろうとも思うけれど、その当たり前の暮らしを少し追体験させてもらえたこと、垣間見させてもらえたこと、何を見た、どこへ行った、というのとはまたちょっと違う経験だったような気がします。
おまけの後日談
旅行から帰ってからの今年の平和学習、1年生の末っ子のクラスでは先生が「しんちゃんの三輪車」のお話をしてくれたんだそうです。
広島で現物を見ていたけれどイマイチよくわかっていなかった三男、教室でいろんなピースがピタッとハマって「僕見てきたよ!」と先生に言ったそうです。
先生の促しで広島で見てきた色々なものをみんなに話す場を持たせてもらったらしく、帰ってから「たくさん発表したの」と話してくれました。
まだ早いだろう、あまり覚えてないだろう、と思いながらお兄ちゃんたちの付き添いとして資料館を訪れていた三男だったけれど、その後の経験で彼の中であの日の資料館で見たものが意味あるものとして根付いたんだなぁと。
先生からのお話で、三輪車のことやお弁当箱、焼けた洋服、街の写真などをたくさん見たのだと話していたそうです。
館内でずっと「まだお外にでないのー」ってグダグダ繰り返してたからちゃんと見てなかったと思い込んでいたのですが、実際にはそこにあったものをかなり見て覚えていたようです。
「まだ早い」っていうのも私が決めるようなことじゃなかったんだなぁ、と、三男をお留守番させようかとチラッと思った自分の勘が外れたことがなんかちょっと嬉しかった、そんな後日談でした。
改めて読み返したいなぁ。
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