それは本当に「問題行動」だったのか、という思い出の話
新年の抱負として「ブログをおろそかにしないで書く」というのを掲げた以上、コツコツ書いていきたい、と言いつつ3週目にしてやっと2本目のエントリを書いています。
今回は、昨日ふと思い出した、うちの子が1年生の頃のお話です。
- 「名前ペンでなんでも書いちゃうので預かってます」
- のちにわかった書字の困難
- 「ペンの方が書きやすいんだよね」
- 名前ペンを使っていた本当の理由と、それに気づけなかった周りの大人
- 「それは本当に問題行動?」
- おわりに
「名前ペンでなんでも書いちゃうので預かってます」
入学式からどれくらい経っていた頃か記憶があやふやなのですが、何かの機会で担任と話をしたときに「そういえば」と見出しの報告を受けました。
詳しく話を伺うと、息子が筆箱の中の鉛筆を使わずにノートやプリントに油性ペンを使ってしまう、とのこと。
子どもたちの小学校では入学の時に筆箱の中の道具として鉛筆や消しゴムと共に「油性の名前書き用のペン」を常備しておくよう言われていました。
本来は学校でもらった道具や名前を書き損なっている自分の道具に名前を書き込むために用意しているそのペンを息子が鉛筆代わりにしている、ということのようでした。
当然ですが油性ペンでノートやプリントに記入したら下までうつってしまいますよね。
その行為に先生が困って「名前ペンは必要なときだけ使うよう先生が預かります」という対処をされていたようでした。
のちにわかった書字の困難
当時の私は、名前ペン使っちゃうのはまずいでしょ〜そりゃ取り上げられるわ〜と思っていたように思います。
息子にも、ちゃんと鉛筆使わないと、と話をしていたんじゃないかな。
気にはなっていたものの、そこから特にどうこうすることなく過ごしていたころ、2年生くらいで他の子に比べて連絡帳やノートの字がなかなかマスに入らないことに気づきました。
ちょうど、私が発達障害の関係で色々な本を読み漁っていたころ。
これは書字の困難!書きやすいツールを模索せねば!
ほいきたと意気込んで、いろんな鉛筆や太めのシャープペンシルや高温で消えるボールペンなどあれこれ買い集めて息子に試し、宿題で使用したり、学校で使えるか掛け合ったりもしました。
「ペンの方が書きやすいんだよね」
書字の困難はその後劇的な改善があるわけではありませんが、本人なりにボチボチサポートを受けながらそれなりに適応しようとしているような感じです。
そんな息子が以前、何かのやり取りの中でポツッとこんなことを言っていたんです。
「鉛筆よりペンの方が書きやすいんだよね」
正確なシチュエーションは覚えていませんが、鉛筆しか選択肢のなかった低学年の頃を思い出しての発言だったような気がします。
その場ではへーっていう程度に受け取っていたのですが、自分の中でゆっくり咀嚼していくうちに自分の中でパチパチパチッとパズルのピールが合っていったんですね。
名前ペンを使っていた本当の理由と、それに気づけなかった周りの大人
ここまで読んでいただければ、なぜ1年生の息子が何を書く時も名前ペンを使っていたのか、がお分かりだろうと思います。
そうです、彼にとって名前ペンを使っていたのは「その方が書きやすいから」。
逆に言うと「鉛筆で書くのがしんどいから」、だったんですね。
でも私も担任の先生も、周りの大人は誰もそれに気づいてやることができなかった。
彼はひとりで鉛筆が苦手だということに気づき、自分なりに問題解決のための手段として名前ペンを使っていただけだったんですね。
でも当時の担任の先生には鉛筆を使えと言っても名前ペンを使う息子の行動は制するべき問題行動でしかなかったし、それを聞いた私にとっても口頭で注意して済ませてしまうようなこととしての認識しかできてなかったんだな、と。
「それは本当に問題行動?」
学校の子供の問題行動について「困らせているのではなく困っている」と表現する言葉を聞いたことがあります。
今回のケースでそれを当てはめてもいいのですが、もう少し発展して考えてみたいな、と思いました。
果たして息子は「困っているから名前ペンを使った」のだろうか。
そう考えたとき、着目すべきは「困難」という部分よりも「自分なりの問題解決」のような気がするんですね。
もちろんその方法は、大人からしたら何にでもインクを裏移りさせてしまう大変困ったものでしたから、大人が手を入れる必要はあっただろうとは思います。
息子は自分なりに考えて、その場で使いやすい道具を選択していたはずだったのに、大人からは「制すべき問題行動」という捉え方をされてしまっていたし、叱られてしまった。
おわりに
何をきっかけに思い出したかも定かではない、何年も前の思い出なのだけれど、こうやって「あの時は」と悔やんだり情けなくなったりすることが本当にしばしば。
「名前ペンを使った」という時点で口頭の注意で行動を変えようとせず、見逃さず、「そこに何かあるのでは」と考えるきっかけにしてあげられたらよかったのに。
問題を起こそうとして取ったわけではない、自分なりのヘルプや問題解決のための自己流の方法だったりする行動が、大人の目から見たら問題行動になってしまう、というのは子どもたちの周りで本当によくあることで、見逃すまい見逃すまい、といつも思っているのだけれどこんな風に、砂が手からこぼれ落ちるみたいに気づかずに過ごしてしまっているんだなぁ、と反省すると同時に、ここから少しでもそれを減らしていかねばならぬなぁと、そんな自分への課題を改めて確認する、年の初めです。
おまけのおすすめ
筆記用具を模索している中で見つけたこの鉛筆シャープシリーズは、書いた感じが鉛筆とそっくり。
まとめ買いして主に自宅学習用に使っています。
硬筆用に使っても遜色ないので、かきかたの作品を作るときにもおすすめ。
学校では鉛筆を使わないといけないけど宿題ではちょっと楽をしたい、というお子さんにも便利なんじゃないかな。
欲を言えば低学年からこういうのを学校に持ち込むことがもっとフランクになったらいいのになぁ、とは思ったりします。鉛筆の方が管理しやすいだろうことは間違い無いんですが。