スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

SNS上の愚痴に助言をしたくなってもしてはいけない、2つの理由


TwitterのTLを眺めていたら

Twitterで愚痴ってどうなるんだ」「愚痴ってないでこうすればいいのに」

的なことってよく言われるけど、っていう話題が流れてきてました。

 

うん、解決策を知ってるように感じる人にとって、時に人が漏らしている愚痴について「こうすればいいじゃない」って言いたくなったり、愚痴っても何もならないじゃないって思ったりする。

私にも過去に同じように感じたことがあったし、Twitterでついそう言ってしまったこともありました…気持ちはわかるんですよねえ…

 

でも、愚痴をこぼしてる時に「こうすればいいじゃない」が本当に必要なのかって言うと答えは否だと思うのです。

理由は2つ。

 

理由① 今ココ、じゃない

ひとつめは段階と時間の問題。

人により個人差は大きくあると思うのですが、愚痴りたくなるような問題が目の前にあるとして、今すぐそれを解決せねばという実行段階にない場合も多いと思うのです。

 

環境が実行に適してない、自分の心の整理ができてない、いろんな理由、背景。

言語化して意識していないけれどなんだか前に進めないような見えないハードルがそこにある可能性も含めて、今すぐにこの問題を解決するために一念発起しようと思えるような段階にはない状態。

 

今すぐには自力で解決できるわけではないけれど辛さを吐き出したい。

今すぐに自力で解決に挑むまでの余裕はないけれど言葉にして外に出したい。

 

そんな段階での愚痴には「こうすれば」は必要じゃないんですよね。

吐き出すだけでは解決しないこともあるだろうけれど、まだその段階には至れてない状態。そんな時にどんな案を出されても行動には移せない。実行できない自分を責める材料になってしまう可能性すらあります。

 

理由② その人はあなたじゃない

ふたつめは、ポイントのズレの問題。

 

「こうすればいい」っていうその解決策って結局はその発言をしている人にとって見える世界だけからはじき出された案に過ぎないんですよね。

その人はそれでうまくいったかもしれない。

その人から見える世界の中ではうまくいくように感じるかもしれない。

 

でも、言う相手にとっての最適解なのかどうかは誰にもわからないんです。

 

私のブログへの感想として「答えが書いてない」というコメントをたまにいただきます。うん、自分でもあまり意識してませんでしたが書いてませんね。

 

なぜかって、書けないんですよ。

私はあなたじゃないから。

 

夫婦間のことも育児のことも、私はこうした、私はこうだったということや、こういうケースもあるよね、こうかもしれないよね、ということは書けるけれど、こうすればいいですよ、は書けない。

私の答えはあくまでもその時点の私の答えでしかなくて、あなたの答えはあなたが見つけるしかないから。

 

同じように、今目の前で愚痴ってる人がいたとして、その人にとっての答えはその人にしか見つけられないんだと思うんです。

 

こうすればいいのにってどんなにあなたの頭の中で思ったとしても、それはあくまでもあなたの頭の中だけのこと。自分にはわからない相手の事情や自分が気づかない盲点も含めて、それが最適な解答とは限らないし、それが相手にとって最善策とは限らない。

そして、相手にとっての最適な解答が何なのかなんて、その人が本当に実行してやってみるまでわからないのです。

案はあくまでも案でしかなくて、その人がいろんなステップを経て自分なりの道を歩いてそこにたどり着くことが大事なんだろうなと思うのです。もしそれがあなたの想定した案だったとしても、たどり着くまでの過程が大事であって初めてその案が活きてくるんじゃないかなと。

 

助言を相手が飲まずイライラする?

もし、相手の愚痴に対して「こうすればいい」と助言して相手がそれを実行せずイライラしてしまったら。

 

それは、上の2つの理由から相手にとってその助言が必要な状況ではなかった可能性があります。つまり、タイミングや内容が相手に合わなかった。

それだけです、相手に合わなかっただけ。

でももしそれがわかっても苛立ってしまうとしたら、もしかしたらそれは相手だけの問題ではないかもしれない。

 

自分の思うように動いて欲しい、自分の案を実行して欲しい。

そんな、相手をコントロールしたいと思うような自分の欲求が先走ってしまっているのかもしれません。自分の中の問題です。

あなたが向き合う必要があるのは、相手じゃなくて「どうしても相手を変えたい」自分なのかもしれません。

 

おわりに

SNS上で愚痴を見て助言したくなったケースを想定して書いてきましたが、交友のある友達や家族から自分に向けられた愚痴についてはそう簡単にバッサリ考えるわけにいかなかったりもするなぁと思ったりします。

 

もし、家族や友人の愚痴を聞いていて自分がなんだかモヤモヤして苦しくなってきたら、それは吐き出す相手として自分が適してないんだろうというサインかもしれません。

延々と話を聞いてあげているのに一向に解決が見えない、案を出しても本人が実行に移さずイライラする。そんなケースもあると思います。

 

そんなときは聞き役を辞退して、別の場所で吐き出してもらうようにしてもらった方がお互いのためになることもある。もし聞き役を逃がしてもらえなかったら、それはそれで相手との関係が健全に保たれていないという証拠でもあるかなぁと思いますが、長くなりそうなのでそれはまた別の機会に。

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