スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

子どもの失敗。「なんで!?」の前に。


昨日のエントリで、問題が起こった時は過去を振り返るよりまず解決の為に全力を尽くした方がいいのかもという話題について書きました。

 

育児や夫婦間の問題を長期的に見たときに、引きずられないようあえて過去を振り返らないことでこれからを大事にしていくこと。

 


書いた後しばらく脳の中をいろんなことがぐるぐると回っていたのですが、その「まずその場をなんとかするために動く」ということがふと、子どもたちの様子とリンクしたので今日はそれについて書いてみたいと思います。

 

それは、昨日とはちょっと違う短期的な問題。

子どもが何か失敗したとき。例えばお茶をこぼしたり。


私はつい「あぁ!」って大きな声を出して子どもを萎縮させてしまったり、ビックリして固まってる子を尻目にさっと自分で拭いてしまったりすることがよくあったんですね。


夕方の忙しい時間とかバタバタしてるときに部屋を汚されてしまって「あー!もう!」っていうイライラが表に出てしまうこともたまにあって、子どもたちがそういうのを感じ取って申し訳なさそうに、でもどうしていいかわからずもじもじしてる、という場面。

「なんでこぼしちゃうの!」とつい言いたくなってしまう自分がいます。
言っても何もならないのに。

 

先日も娘が晩ごはんの準備中に盛大にひっくり返してくれて。

惨状に驚く私と固まる娘と。


不穏な空気が流れる室内。(いや若干大げさですが)
そんなときにちょうど帰って来た夫が横から、
「こぼしたらどうするの?」
とぞうきんを手渡しながら娘に声をかけてくれました。


もじもじしていた娘はハッと気づいた様子でぞうきんを受け取って床を拭いて。
落としていたコップを拾ってシンクへ。


私も手伝って一緒にその場をキレイに片付けてしまったあと、私のところにやってきて「こぼしちゃってごめんなさい」と娘。

「次は気をつけようね」
と声をかけると、娘は小さくうなづいてお手伝いの続きに戻ってくれました。

 

「こぼしたら、どうするの?」

 


夫が投げかけたこの言葉はまさに昨日のエントリに書いたような「ここから先どうしようか」という提案でした。

 

起きてしまったことを振り返るより、反省するより,まず先に「今ここをどうするか」と促すこと。
混乱が起こっている眼前を、まず落ち着いた状態まで戻すこと。
戻すための手段を知ること、考えること。

 

夫の声かけでスムーズにその場が落ち着いたことに感動して、これまでよりより注意して「この場をまずどうするか」を意識してみよう、させてみよう、と思って実践中です。

 

 

例えば。

不注意で妹にぶつかって転ばせてしまった次男、泣く娘を前にした次男はわざとじゃないと言いたげ。
なので「どうしようか?」と尋ねてみました。

叱るでも反省を促すでもない私の対応に少し驚いた次男はちょっと考えてから娘のそばに。
近寄って「怪我してない?大丈夫?」と確認。
すりむいた膝を見て「ばんそうこう、いる?」と聞き、大丈夫と娘が答える。
そこでふと私の顔を見たので「次は?」と聞くと少し考えて「ごめんね」と。

 

対外的にはごめんねの順番は先の方が本当は良いんだろうけど、ちょっと落ち着いたから出せたんだろうな、とこの場では思いました。自分がぶつかってしまったことをちゃんと受け止めたからこそ出た謝罪だろうなと。

 


大人である自分を振り返っても思うことなのですが、不注意で何かしでかしてしまったとき、何か問題に直面してしまったとき、謝罪や反省をまず行おうとしてもなかなかスムーズにできないことがあるように思います。
混乱が目の前で持続しているときは余計に。

大人だってそうなのだから、子どもたちの頭の中はもっと混乱を極めているのかもしれない。

 


そんな状況の中で「まずこの場を元通りにする」ことに全力を注ぐこと。

その方針は子どもたちにとって分かり易く、かつ有効の度合いが高いなと思います。

 

混乱が解決して初めて、何が起こったのか、何故起こったのか、再発を防ぐためにどうしたらいいのか、を自然と考えられる状況になるのではないかな、と。


実際、問題が感じられなくなったところで落ち着いて話したときの方が不満や言い訳が出ること無くスムーズに会話が進み、状況の理解や再発を防ぐためにどうしたらいいかをゆっくり話せるように思います。

 

 

「まず謝る」というのは対人関係の中では大事なスキルだとは思います。
それは前に書いたエントリにも繋がることなのだけど。


相手の溜飲を下げる、怒っている相手の状況を鎮める、という目的での謝罪は、この場を落ち着かせるための手段の一つだろうなと思います。
「とりあえず謝る」というのがそのスキルだなと。

 

でも謝れば済む訳じゃない。だから、形式的な謝罪も含めた「どうするか」が重要。

 

なんでこうなったのか、より先に、じゃあどうしようか、と考えること。

そして目の前のゴタゴタが片付いてしまってから、ゆっくり問題の背景を考え、反省に繋げていくこと。

そこで初めて、形式的ではない謝罪が出てくるんじゃないかなとも思うし、次に繋げていくこともできる。

 

「片付ければいいんでしょ!」という、謝罪を避ける方向にいくのではないかということも脳裏をよぎったんですが、現実にはその反発や逃げって現状をちゃんと受け止めてないからこそ湧く感情なので、必要以上の叱責や罰が伴わないで状況が理解できるまで話す時間を持つよう心がける余裕が親の側にあれば大丈夫なんじゃないかなと思ったりします。

 

それにそもそも、自分で片付けることで誰の損失にもならない場合なら最初から謝る必要もなかったりするのだから、腹を立てる必要も逃げる必要もないわけで。その、無用な謝罪や叱責を避けるという意味でも自分がまず動いて事態をなんとかする、という方針は大事なんじゃないかと思ったりしています。

 

とりあえず謝らせる、ということもなんとなく世間の風潮みたいになってるけどそんなに強いるようなことじゃないのかもしれないとも思う。その場を落ち着かせてからちゃんと謝るまでの時間を共有できる関係の中にあるのなら、謝罪よりまず先に解決法を子どもが身につけられるかどうか、自分で振り返りができるかどうか,そっちの方が重要なんじゃないかなと最近思ってます。

 

もちろんそうじゃない関係のなかでのトラブルも多いから、子どもたちにはトラブルのたねを減らすために「とりあえず謝れ」と教えてはいるんだけど、でも周りにそれを求めすぎることは良くないなぁと思ったりしています。

 

 

ここしばらく書いてきた謝罪とか反省とかのことが、昨日のエントリを通してこんな形で繋がって来て、なんか面白いと一人にまにましています。

 

 

合わせてどうぞ。

昨日のエントリ 一秒先から向こう側の未来だけを見る。 - スズコ、考える。

 

「謝る」と「反省」のこと

子どもに「謝りなさい!」と言っていませんか? - スズコ、考える。

「謝罪」と「反省」 〜昨日のつづき。 - スズコ、考える。

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