スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

野口晃菜さんの記事から考えた「わからないことを聞ける」ということ。


TwitterのTLに今朝流れてきた、障害科学博士である野口晃菜さんの記事を読んで思い出したことを。

 

次男が何かおかしい、と感じ始めたのは3年生の頃で、当時担任を持ってくれていたのは新任の若い先生でした。

教室での問題行動が頻発する中で先生は先生でできる限りなんとか対応してくれようとしていたと思いますし、私は私で学校に何度も足を運んでどうしたらいいか先生と話すのだけれどふたりで行き詰まる、そんな毎日でした。

 

今の私がそこにいたら「まず自治体の教育相談に申し込め」「あそこの相談支援事業所にごり押しで入ってあの先生を紹介してもらえ」と地域の事情に即した的確な助言ができたと思います。

もしすぐに対応がわからなくても「あの先輩ママならわかるかも」「あの先生に聞こう」「あそこに相談しよう」という話す先がいくつも浮かびます。

 

でも、当時の私にも、先生にも、その知識は皆無でした。

そして悲しいかな、当時の私にも先生にも、それをすぐ聞ける相手や聞いて自分が対応できなくても別に繋いでくれる人がいませんでした。そこからの次男と私と、次男の周りの人たちの、ある意味で暗黒の時代だと私が思っているような1年くらいの長い時間があったのはあの時に「わからないことをなんとかしてくれる」サポーターがいなかったことに起因していたのだろうと、今振り返って思っています。

 

紆余曲折の末、通級指導教室になんとか通えるようになりました。

次男にとって初めての、自分を理解しながら接してくれる人との出会いだったかもしれません。私にとっても、次男の対応についてどうしていいかわからない時に聞けば一緒に考えてくれる、初めての人との出会いでした。

 

通級の先生に出会った時のあの安堵の気持ちは一生忘れないと思います。

 

「誰にも話せない」「誰に聞いても明確な答えは返ってこない」

それまで真っ暗な海の中で一人でボロボロのボートを漕ぎながら彷徨っていたような状態だった私が初めて灯台や地図を手に入れたような、そんな、一筋の希望が見えた瞬間だったようにも思うのです。

 

そこから今日まで、前述したように今の私には困った時に話せる相手がたくさんできました。

Twitterの上にも信頼できる先輩母さんたちがたくさん。

親の会やペアレントメンター関連の勉強の中でも頼れる方との出会いがたくさんありました。

通級指導教室の先生とのおつきあいは卒業と同時に途絶えてしまうけれど、通級親の会を立ち上げたことで他のお母さんたちや先生方と情報を共有していく仕組みを作ることができました。

 

誰からも答えが得られずに彷徨って苦しかったあの頃、私は私でとても辛かったけれど、担任の先生もとても大変だったんだろうと思うのです。次男の対応にどうしていいかわからず校内で答えが得られず、先生なりに本当に頑張って勉強し、対応してくれていたと思う。

 

あの頃の先生に「こうしたらいいよ」「親御さんにこう勧めて」「教室ではこういう工夫を」と助言をくれる人がいたら。

 

野口さんの言葉をひとつずつ読みながら、当時の、次男のために奮闘してくれていた先生の顔が浮かびました。障害児の親としての私にサポーターが必要だったように、先生にもそれが必要だったんじゃないか。

 

学校の先生たちにとって特別支援の知識や技能が特別すぎるものではなくなることを願わずにおれません。わからなければ誰かに聞く、聞かれた人が一緒に考え、わからなければまた違う人に聞いていく。

 

そうやって、先生が、いろんな専門家が、保護者が、手をとり合いながら多様な子どもたちを育んでいく環境を作っていけたら。

 

「わからないことを聞ける」というのは本当にありがたいこと。

同じ困難を抱えていても、そのバックアップが自分にあるかないかで心持ちが180度変わるような、そんな大きなことだと私は思うのです。

 

新年度を目前に控えたこのタイミングでこれを書いてくれた野口さんに心から敬意を評したいのです。

私が一保護者として目の前の先生に「困ったら野口さんに聞いてください」なんておこがましくてとても言えないのだけれど、日本中の少しでもたくさんの先生方にこの野口さんの言葉が届いたら、「わからないことを聞ける」体制で学校にいることの大切さを、その環境を作っていく必要を、考えてもらえたら、そう願わずにはおれないのです。

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