スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

迷ったら母ちゃんの楽な方を選んでいいんだよ

末っ子三男が生まれて少ししてから始めたのがTwitter。そこでは同年同月に生まれた子のいるお父さんお母さんたちとタグを通していっぱい繋がって、そのときどきの悩みを夜な夜な話してきたなぁと思い出す。

 

うとうとしつつも自分から離れない乳児に授乳しながらガラケー開いて小さな画面のなかに自分以外に起きてる人がいるのがなんかうれしくなったり、子育てのことや夫のことなんかをぽろぽろ愚痴ったり。

 

今日のTLに、久しぶりにそんな時期を思い出すアンケートが流れて来てた。1歳児の離乳食について。遊び食べ、手掴み食べ、その単語のひとつひとつすら懐かしくてなんだかじわっと色んな思いがこみ上げてくる。

 

数日前に流れて来てた、漫画家の西原理恵子さんの「毎日かあさん」の一節「なんで家事なんかしてたんだろう、もっと抱っこしてあげてればよかった」って言葉に、前思春期に入ってもう私を恋しがることもなくなっちゃったデカい息子たちが私に伸ばしてたかつての小さな手のひらを思い出しては目が潤む。

 

Twitterを続けてると、乳幼児育児にどっぷりつかってたあの頃の自分にふと引き戻される瞬間がときどきやってくる。小さな長男が仕事用のPCに向かう私の足に絡みついていたあのときに、なんで私は仕事してたんだろう、やめて抱っこしてればよかったなぁってサイバラさんばりに思い返してみたりもする。

 

子どもたちと一緒に暮らし始めてからもうすぐ12年になる。

 

離乳食をどうするか、目の前で遊び食べしてるのをいつ止めたらいいか、靴下ははかせたほうがいいのかよくないのか、どのタイミングで病院に行ったらいいのか、発達の困難をどこに相談したらいいのか…日常の些細な疑問から子どもたちの人生に関わるかもしれない大きな選択まで、12年間に本当に毎日毎日いくつもの「どうしよう」とつき合って生きてきたように思う。

 

そのときの私がそのときの精一杯で、情報をかき集めたり誰かに相談したり悩んだり泣いたりしながら右に行くか左に行くかを考え選択してきたのだけれど、通り過ぎてきていま、その道をふりかえってみて思うこと。それが「私が楽な方にしとけばよかったんだ」ということ。

 

子どものためと思って辛い方の選択肢を選んできたことも何度も何度もあった。でもその重さに耐えきれなくなってイライラが募ったり、しんどくなったり、夫に泣きついたりすることもたくさん。

 

母ちゃんが笑顔でいられない選択肢をなんで私は選んじゃったんだろうと、通り過ぎたいまは思うのです。

 

どうしようって悩んでいる、というスタート地点に立っている時点で、あなたはいい親だと思う。

 

だから、子どものためを思って辛い方の選択肢は選ばなくていいんじゃいかな。迷うという、いい親の条件を満たしているのだから、あとは子どもの前でいい笑顔でいられる方を選んでも間違えないと思う。

 

困ったら、楽な方を選んでいい。

 

笑顔がわからなくなったら、鏡の前や誰かの前で、自分の子どものいいところを話してみて。その顔が、あなたのいい笑顔、お母さん(お父さん)のいい顔。それを子どもに見せてあげられるような、楽な育児をどうか選んでください。

 

迷ったら、悩んだら、困ったら、自分がいい顔でいられるような楽な方を。それが、たぶん子どもにとっての一番の栄養だから。

夫の「聴いてなかった」に対するイライラ案件を掘り下げる

お昼休み明けにTLを眺めていたら、RTされて流れて来たとあるツイートが気になりました。お子さんの小さい男性が奥さんから指摘された、自分の話を全然聞いてないという苦情についてのツイート群。

 

ハナイリスさん引用の快諾ありがとうございます。

とても気になってそこから色々と考えてしまったのでそれをまとめてみたいと思います。

 

とりあえずの前提として

・奥さんと和解し平穏に暮らしたい

・聞いてないのだからなんとかしてほしいと言われても具体的な「聴く」対策が無い

と仮定してみます。2つめに関しては妻側の視点からは「あり得ない」と思われるかもしれません。怠けているだけだ、努力すればなんとかなるはずだ、と思えるかもしれません。が、そこで立ち止まったらそこから先には進めない。とりあえずそれについて考えることからスタートします。

 

「聞いてない」のではなく「聴こえていない」可能性

声が耳をスルーしていく怪奇現象

私が「#アホ男子母死亡かるた」のタグでネタを投稿したりしていたとき、かなりの数寄せられたのがこの、聴こえていない問題だったなぁと思い返します。もちろん男児に限る話ではないんですが、うちの4人+夫を見ててもとにかく男子の耳スルー率の高さたるや。生返事が返ってくることも多いので、こちらからしたら聴こえている前提で話をしているのだけれど、あとから確認するとその内容はまったく彼らの脳に記憶されていなかった。最初に紹介させて頂いたツイート主さんも同じ現象です。

 

聴力の問題?

息子たちの耳スルー率が異常に高くイライラが募っていた時期、たまたま行った耳鼻科でそれを相談したら「じゃあ聴力検査してみようか」と言われお願いしたことがありました。痛みを伴わない中耳炎などの耳の病気で聞こえが悪くなる可能性もゼロではないなぁと思ったのですが予想に反することなく診断結果は異常なし。聴力に困難があり聴こえていないわけではけしてない。

 

当たり前といえば当たり前なのです。

彼らは学校で授業を受け指示通りに動くこともあり会話も成り立つ、聴力に問題があればその日常生活の中で何かしらの困難が拾い上げられていたと思われる。それはない。

 

じゃあ意識の問題?

聴力に困難が無いなら、じゃあ聴こえているはずじゃないか、と思うと思います。私も思いました。そもそも生返事でも返答が返って来てるということは何かしらを話しかけられていることは分かっているということでもある、聴こえてるじゃん!

ということは意識をこちらに向ければ耳に入るんじゃないの?記憶できるんじゃないの?やっぱり「努力すればなんとかなることをやってないんじゃないの!」

 

と思って私はさらに「だから努力しなよ」と思ってたなぁと…。恐らくは最初に紹介したツイート主さんの奥さんも似たような感じじゃないかなぁと思うのです。

 

「聴力」ではなく「聴覚認知」の問題の可能性

「返事はあるのに聞いてなかった」現象について考えられることとして、聴覚の認知能力に問題がある可能性があります。「聞いてない」のではなくて「聴こえていない」のかもしれない。聴力に問題が無いのに聴こえてない、って不思議かもしれません。

認知特性については過去に書いたことがありました。

 この中で紹介している書籍(Amazonの画像変わってました)

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

 

 この中で簡単なセルフチェックで自分の認知特性の傾向を知ることができます。認知特性やその偏りというと発達障害の話のように感じられるかもしれませんが、以前から何度か記してきたように発達障害という枠のなかで支援を必要とするかしないかという話ではなく、どの人にもそれぞれに認知特性の偏りはあるのではないかなと私は思いますしこの本でもそのように取り上げられています。

 

認知特性にはさまざまな項目がありますが、今回はその中の「聴覚の認知」、聴力に問題があるわけではないけど耳からの情報が入りづらい状態のことです。本人にとっては生まれてからずっと続いているし他人とどう違うか確認がとりづらいことなのでなかなか自覚はないと思いますが、会話や授業など意識を集中させているときにはある程度聞き取ることができていても、意識をそちらに傾けてないときには耳から音声が入って来てもそれが言葉として脳に伝わらず、結果として反対の耳から通り抜けて記憶されないままになってしまう…

 

それが結果として「生返事ばかりでちっとも聞いてない!」「意識すればできるのにできてない!」になってしまっているのかもしれません。

 

「やらない」じゃなくて「できない」だとしたら

今回は聴覚認知の問題の可能性について掘り下げましたが、この限りではないかもしれません。他にも「できない」理由がさまざまにあるかもしれない。ツイート主さんのケースの詳細はわかりませんが、妻から何度も要求されてもそれが実行にうつせてない現状は本当にやる気の問題なんでしょうか。

やる気の問題であり和解を臨んでいて要求の内容が明確なら、能力がある人ならやるはずです。でも、やってない。

 

それは、私は「やらない」んじゃなくて「できない」だと思うんです。

 

そこを「できるはずだ」と思っているうちは解決はないと思います。前回のエントリで書きましたが部屋を構造化することで片付けができなかったはずの私の家が片付いたように、意識を持つとか努力するとかの個人の頑張りに委ねていても解決しなかった問題が、「これではできない」を自覚し、自分の性格や習慣を考え「できる方法を探る」ことで解決に導くことはできると思うのです。今のやり方でうまくいっていないのなら、それはその家庭には合ってない。そのやり方では「できない」ままなのです。

 

「できない」→「受容」→「構造化」

何が理由かはケースバイケースだとして、要求されていることが「できない」なのだとしたらまずその事実を受容せねばなりません。沽券に関わるかもしれませんが、何かしらの要素があり恐らくは奥さんが要求していることは夫である自分にとってはハードルが高過ぎることなのだということ。能力が足りないということ。無理だということ。

 

それは自分の能力が低いということを認めることにもなるかもしれませんが、相手の求めるものが高過ぎるという可能性ももちろんあります。能力の高低ではなく、手法が夫婦双方にとって適切ではない、ということだと思うと楽かもしれません。

 

「できない」ことが悪いのではなくて方法が合ってない、必要なのは片方の努力ではなくて「夫婦間コミュニケーションの構造化」です。

 

できないことを要求されているのだから、それは相手に理解してもらわねばなりません。自分には何かしらの理由がありできないのだということ、無理なことを要求されているということ、問題解決の意志はあるがその方法では難しいということ、改善のための擦り合わせをする必要がありそのためには妻側の協力が必要だということ。

 

構造化の方法を考える

どうやったらできるだろう、これはとても難しい問題です。

声の掛け方を工夫する

例に挙げたような聴覚認知の問題であれば、よく勧められるのは声の掛け方です。聞こえに問題のある子への学校や家での対処法として、遠くから大きな声で名前を呼んだり話しかけたりするのではなく、近くへ行き肩を叩くアクションと同時に名前を呼び、相手が作業をやめ顔を向けてこちらに意識が向いたところで会話を始める、という手法があります。

 

LINEを利用する

また、うちの夫は聴覚認知に問題はありませんが夫婦間で話す時間が取れずに伝えられないことが多いので思いついたときにLINEに書いとく、というのも多いです。お互いに言った言わないの話にはなりにくい。聞こえに問題がある方のなかで視覚優位の方も多い。耳から入る情報より画面上に写る文字を読む方が理解しやすいケースもよくあります。

 

聴覚優位か視覚優位かのチェック法

聴覚か視覚か、どちらが認識しやすいかの判断法として仕事上の指示が聞きやすい方法は何か?と考えてみることをお勧めします。

私は資料を手に上司がこんこんと喋られるのが苦手です。その場で聴くのも辛いし、あとからそれを思い出しながら作業しても漏れが多くてミスが頻発してしまうこともよくあります。指示をメモにきっちり書いてもらえたり、その場でメモをとりれたらミスが減らせる。

口頭での指示が吞み込みやすいのか、書面での指示が理解しやすいのか、自分が、配偶者が、どちらのタイプなのかによって対応を工夫するとスムーズにやりとりできるかもしれません。

 

「ふせんの提案」がなぜダメだったのか

長々と書いてきましたが、構造化でいいなら最初のツイートにあった「ふせんをはればいい」という提案でよかったじゃない、と思われるかもしれません。

なぜ「ふせんを貼って」という提案がダメだったのか、を最後に書いて終わりにしたいと思います。

 

「できない」を認めていない

こうしてくれたらいいと思う、という提案には、構造化に至るまでのステップに必要だった、自分の「できない」を認める「受容」のステップが抜けているんですね、ここが問題です。

 

相手が変わってくれたらいいという視点

受容のステップが抜けているので、自分には非が無いという前提に立っていることになります。(非というと「お前が悪い」と受け取られるかもしれませんがここでは「要求に応えられない」というマイナス要素という意味合いで考えて下さい)自分にも非があるともし思っているとしても相手にそれは伝わっていません。

 

自分に非が無く変わる必要が無い、と考えているであろう相手から「こうしてくれ」と改善方法を自分に投げられてしまってそれを快諾できる人はめったにいないと思います。相手が変わってくれたら解決する、という視点に立っている以上問題は改善せず拮抗状態が続きます。(これは妻側にも同じことが言えると思います)

 

おわりに

うっかり長々と書いてきましたが、私があえて掘り下げて考えただけで当該のツイート主さんが解決を望んでいるかはわかりませんし愚痴って終わればそれでよいというケースの可能性も十分にあると思います。

 

そして大前提として、奥さん側としても具体的な改善策は求めていないかもしれない。ただ自分のイライラした気持ちを夫にぶつけてそれを聞いてもらえば良かっただけかもしれない。

 

本当の解決方法はおそらくは夫婦の数だけあるわけで、私がここで書いてきたのはほんの一例でしかないのだろうと思います。自分たちの認知特性の傾向や生い立ち、性格や今の生活の環境…色んな要素をコツコツと割りながら考えていくことで自分たちだけの最適な方法、うまくコミュニケーションがとれる「正解」にいきつくことができるのかもしれません。

「片付けられない女」が片付けられなかった本当の理由

片付けられない女

片づけられない女たち

片づけられない女たち

 

 はい、私のことです。家族と暮らしているしそれなりの外面を維持したいのでできるだけと思って片付けてはいるのだけれど、油断したらすぐ部屋が散らかるのは独身の頃から。子供たちとの暮らしはそれに拍車をかけ、仕事が忙しくなったりすると途端に部屋は強盗にでも入られたんですか状態になってしまうことも…。これではいかんと思って一念発起して大掃除してはその場で満足し、またすぐに散らかっては落胆し、の繰り返しでした。

 

自宅を構造化する日々

ここしばらく、このブログやTwitterでもちょこちょこと触れているように自宅の構造化について考え実行を続けています。

 

来年度学校関係でちょっと大きい役を引き受けることになったので、これまでに加えてもっと家事の手間を減らしたい、ちょっとした不便さで起こるイライラを解消して機嫌良く過ごせる家にしたい、子供たちの友達がよく訪ねてくるのでなるべく綺麗な状態に保ちやすい家にしたい、自分だけが頑張らなくても家族が自然と片付けやすい家にしておきたい、そのへんが主な理由です。

 

台所とお風呂場から始まった自宅の構造化の旅は、まず物を厳選することから始まりました。

 

本当に必要なのか

今自宅にあるこれは本当に必要な物なのか、を徹底的に考える。なくてもなんとかなるのか、ないと本当に困るのか、考えた末必要な物以外はバッサリ捨てる。断捨離です、断捨離。

ときめくかどうかという基準の本もあるらしい、しかしながら日々家事育児仕事におわれる私の判断基準はときめくとかではありません、暮らしのなかで必要かどうか、それだけ。

 

私はミニマリストのように「物を減らす」ことが目的ではないんですね。「不要な物を置かない買わないことで自分の買い物や片付け作業の負担を減らす」ことが目的なのです。

思い切って捨ててみて、数日うちに「あ!あれがやっぱり必要だった!」と思ってしまったものもあります。思い切って片付けてから数日は自分が考えて出した結果の答え合わせを毎日している感じです。捨てちゃってごめんねと改めて買いにいったものもいくつか。でもこれを意識しはじめてから買い物に費やす時間がかなり減りました。「なにを買おうかな」と思う時間がなくなり、うちの定番を買い足すことに集中できるようになったからです。

 

どこで必要なのか

厳選されたそのものを「どこに」置くのかも大きな問題です。

置き場所を失敗してしまうとタスクが増えることになる。必要とするその場で取り出しやすいこと、使いやすい場所に置くこと。

これは実は使いやすさを優先したいからではありません。実は優先したいのは「片付けやすさ」。

使う場に近いということは使い終えてから収納するまでの行動が短くて済むということ。つい違う場所に置いてしまって散らかったり、どこに置いたかわからなくなって後から探すという手間を極限まで減らしたい、だから、使ったらすぐ片付けられる場所に置いておきたい。

 

だから、物を一つずつ眺めながら考えます。私はこれをどこで使うのか、家族はどこで使うのか、どこを定位置に決めたら自然ともとの場所に戻りやすいのか。

 

必死で考えて定位置を決めてみて、数日うちには答えがわかります。

誰が使ってもその場に戻っていたら、それはうちの家族にとっての正解。でも何度も定位置にないそれを私が元に戻すはめになったら、それはうちの家族にとっての不正解、もっと違う適切な場所がきっとあるんですね、他に。

 

紹介されている収納法をうまく活かせない自分への自己嫌悪

テレビや雑誌でよく特集されているほど、収納って興味をひきやすい、関心を持っている人が多い分野なのだろうなと思います。私も最近はあまり買わないけどたまに病院の待ち合いや美容院で雑誌を見るときはよくその手のものをつい読んでしまいます。

 

このやり方がおすすめ!というやり方をそのまま真似してみたけどなんかしっくりこない、ということも何度もありましたし、おすすめの収納用具を買ってみたけど使い勝手が悪かったってことも。

 

収納の知識を持っている方、資格を持っている方が勧めているやり方を真似てもうまくいかなかったのは「やっぱり私が片付けが下手だからだ」と思っていました。自分が片付けられないから、自分が注意欠陥気味だから、だからできないんだ、ちゃんとした人がこのやり方でやったら家は片付いていたんだろうな、って。

 

だからいろんな雑誌を読んで、いろんな番組を見て、紹介されている方法をやって自分の収納スキルを高めないとダメなんだ、と思い込んでいました。できない自分が能力を高めてできるようにならないといけないと思ってた。「普通に」できる人になりたい、同じやり方でできるようにならないといけない。

でも同じ方法では当然「できない」。その繰り返し。

自尊心は当然駄々下がりですね。

 

上手に片付けられなかった本当の理由

でも「自分が使いやすいように」「自分が片付けやすいように」「家族がわかりやすいように」「家族がついしまいたくなるように」という視点に切り替えてから、驚くほど家が散らからなくなっていきました。

 

本や雑誌で紹介されている方法をそのまま真似るのではなく、どんどん捨てていくのでもなく、ひとつひとつの物について自分や家族が本当に必要としているかを考えて選び、使いやすくしまいやすい流れを考えて定位置を決める。

収納について考えているようでそれは実は、私や私の家族そのものについて考えていたんだなぁと思ったりします。ハサミをどんなときにどこで使うのか、よく使うのは誰か、なんのために使うのか、それはおうちによって様々に違うはず。リビングの引き出しに入っている方が使いやすいのか、ダイニングテーブルの側の方がいいのか、どこにあった方が便利でかつ片付けの負担が少ないのか。それはその家のその家族それぞれの暮らし方で決まってきます。ハサミが本当に必要なのかも、いくつ必要なのかも、どこを定位置にするのかも、正解は家族のそのときごとに違うんですね。

 

誰かの真似をしてもしっくりこなかったのは私がその収納を考えた人ではないから。その人ごとに家族ごとに必要なものや定位置の正解が違うのだということに気づいていなかった、考えていなかった、それが、私が家を片付けられなかった本当の理由だったんだと思うのです。

 

おわりに

収納を考えるとは自分のあり方を見つめ直すこと。「収納はその人そのものである」なんてポスターにでもしてみたくなるような壮大なコピーを思いつくほどに、家の中の物の定位置を考えていくことはひとつひとつが自分と家族の今を考えることにつながっています。私と夫と4人の子供たち、それぞれの今の状況、能力、暮らし方、好み…いろんな要素を丁寧に考えていくことで「これはここ」という正解らしいものが見えてきます。そしてそれを試してみると数日うちには誰が意図したわけでもないのに正解か不正解かが私に突きつけられることになる。そんなちょっとしたゲームを毎日楽しんでいる感じです。今の正解もまた家族の暮らし方が変わっていけば不正解になる日が来るかもしれない、そのときにはまた正解に行き着くように考え直せばいい。

 

自宅の構造化の一番の目的は、私が苛立たず子供たちを叱らずに済むこと。逆に言うと私はこれまで、暮らし方をていねいに意識していなかったがために無駄にイライラしたり子供たちを叱ってしまったりしてきたということでもあります。定位置がわかりにくいしまいにくい家でどんなに片付けろと叫んでも子供たちには何のメリットもなかったんですね、ほんと反省しきりです。

 

反省を前向きに発展に変えるために、今日もせっせと構造化。お風呂場、脱衣場、台所、冷凍庫、ときて今の課題は「冷蔵庫の野菜室」です。

 

こないだ読んだ本、漫画なのでサクサク読めて面白かったです。

 気になってる本

のび太ジャイアン症候群の司馬先生の本、Amazonのカートに入ったままなのでそのうち読みたいなと。 

 

 収納と構造化関連の記事いろいろ。

suminotiger.hatenadiary.jp

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つまんない授業と聴いているふりをするスキル

TwitterのTLに流れて来ていた、授業中に絵を描いてたというツイートを見て思い出した自分の過去。

 

小中高と、なんで自分はここに座ってこんな退屈な時間を過ごさねばならないんだろうとずっと思ってた。先生は教科書に書いてあることを喋ってるだけだし、それは教科書を読めばわかるし、教科書を読んでなくても授業が始まって数分で内容は頭に入ってきたし、出される課題も先生が提示した時間の半分以内には終わってあとは何もすることがない。ここはなんて退屈な場所なんだろうと思いながらぼんやりと外を眺めたり、ノートの隙間に絵を描いたり、隣の子に話しかけて叱られたり、手紙を書いてまわしては叱られたりしながら過ごしてた。

 

高校生にもなると夜更かししたりもするようになって昼間眠い。退屈な授業はちょうどいい催眠術となって私を心地よい眠りに誘う。春先なんかもう眠くて眠くて仕方なくて、つまんない授業のときはほとんど寝てた。業を煮やした化学の先生から教室中に響く音でげんこつをくらわされたけどあれは私立高校だったからアリだったのか、昔だったからアリだったのか、みんなが何とも思わないほど私の睡眠が度を超していたからだったのか。

その後呼び出された職員室でその化学の先生と担任だった数学の先生が「こいつはずっと寝てるくせに点は取れるからむかっとくるんだよ」と笑い合っていたからあぁ良い学校に入ったんだなとそこからも卒業までそれなりにのびのび過ごさせてもらった。

 

高校の途中からはノートを取るという趣味ができた。ルーズリーフ1枚にすごい細いペン(当時発売されたばかりの0.3mmのボールペン)を使って小さな文字とイラストで1単元を丁寧にまとめあげるというのをやったらクラスの友達にすごく受けてテスト前にコピーさせてくれと頼まれたのが嬉しくて、そこからは授業中は延々それを書いていたので叱られることがなくなったなぁ。

 

先日のこと。

小学校4年になる息子の担任と話したとき、次男の授業中の様子について「授業聴いてないな〜ってことはよくあるんですが騒音など実害のないものはスルーしてます」と仰っていて、先生のご理解に頭が下がる思いだと何度もお礼を言った。次男と話してみると想定のどまんなかの答えが返って来た。

 

「だって、知ってることばっかり先生が話すからつまんないんだもん」

 

そうだよね、うん、お母さんもそうだったわ、ごめん遺伝だわ。

 

つまんない授業をどうするかを息子と話す。とりあえず実害(立ち歩きや騒音など授業の邪魔になるもの)はダメだよねという概念を息子と共有する。うんそれはよくない、じゃあどうしよう。

 

「とりあえず、つまんないなと思っても座っとかないといけない」と次男。

うん、それが君にとっての授業だ、登校する以上やむを得ない、仕方ないから対処せねばならない。

 

次男と考えたのは、たとえば「一人しりとり」脳内で延々自分と自分でしりとりを繰り返す、これは母ちゃんも昔よくやった。あとはお話を考えて脳内で再現して楽しむ。読んだ漫画を思い返す(これは夫がよくやってたらしい)。

 

ここまで話しながら、なんでこんな苦行やらないかんのかなあと自分の中に違和感がもりもりと盛り上がる。つまんない話を1日数時間聴き続けないといけない。もう知ってることやすぐにわかることだけが積み上がっているのに。

 

ここでつい思う。クソみたいだな、義務教育。個人の能力に合わせてステップアップどんどんしていって個々に伸ばしていけたら…(でも家庭で十分にそれができないのわかってるし、知ってることが口からでちゃうタイプの次男は先取り学習は控えてるのでそうもいかないからそもそも無理なんだけど)

 

でもね、ともう一人の私が横から声をかける。

「座って話を聴く姿勢を持ち続ける能力、ほんとに要らない?」

 

大人になった私が、その「座って人の話を退屈だと思いながらも周囲から浮かないように聴き続ける」場面に出会わないかというとそうでもない。園や学校でいろんな式典の長々とした挨拶、興味ない話題だけど参加しないといけなかった講演会、役柄上出席しないといけない会議、いやちゃんと聴かないと困るものや必要なものの方が多いんだけど、でも「なんでここに座っとかないといけないんだろう」とモヤモヤしながらも時間を過ごさないといけない場ってときどきある。

 

それに、本当にクソみたいにつまんなくてもその話を興味をもって聴いている素振りを見せる子は有利だ。内申点も良いだろうし、就職してからも評価は聴いてない奴より良いかもしれない。聴いているような素振り、無駄とはけして言えない。

 

周囲から浮かずに授業という流れの中で違和感なくそこに存在し、話を聞いているように話者に感じさせることが出来る、これも一つの能力なんだろうなと思う。それを入学した頃から、いやその前から誰かに教えられることもなく手にすることが出来る子もいるんだろうと思う。うちの4人の子のうち私は教えてもないけど出来てるなって子が複数いるから、成長するなかのどっかの過程で掴めるタイプの子もいるんだろうな。

 

でも私も次男もそうじゃないっぽい。

 

次男が「おれはつまんねえ話なんか聴かないぜ!」っていう豪儀な言い分が通るような高見に登っていけるなら、必要ない能力かもしれない。今の彼の持ってるものを磨き伸ばしてそこに行き着くようにサポートしていくのも、親としての一つの方向かもしれない。

 

でも彼がそこにいけるかという針の穴通すみたいな目標を持つことは私にはできない。

とりあえず授業はつまんねえかもしれないけど、お利口さんのふりをしてたら通知表の丸、たぶん増えるよ、聴いてるふりをし続けるのもまぁそのうち役に立つかもしんないよ、話聴いてるふりしてたら意外と面白い話も聴けるかもしれないよ、悪いことばっかじゃないと思うからとりあえず前向きに「座って聴いてるふり」しとこうぜ、っていうのが次男と私の結論。

 

私はこれまで幸いなことに、授業中露骨に話を聞いてなかったことについて激しく怒ったり面倒なことを言うような先生には当たったことがなくて、それはほんとにラッキーだったんだなってTwitterやなんかで色んな方のお話を聴いてると思う。

 

話をちゃんと聴いてないってことで感情高ぶらせて怒る大人はいるね、うん私も時々ムカッと来るから他人事じゃない。

 

もしかしたら次男がこの先出会う指導者や上司のなかにその手の人が居ないとは限らない。その時にその態度を理由に理不尽に傷つけられることはできれば防ぎたい。

 

「聴いているふりをする」にはスキルが必要なタイプの子もいる、私もそうだったけど、でも大人になってみるまでそのスキルというものが存在することも、社会の中で生きて行く上で身につけといた方が得なのも知らなかった。教えてくれる大人には出会わなかったなぁ。出会えてたら人生違ってたんだろか。

 

そんなこんなを話して数日後の次男の感想は

「座ってぼーーっとしてるとさぁ、色々考えることあったりするね、うん」

だそうです。

「なんでできないのか」を模索すべくマインクラフトをやった話。

「なんでできないの?」

 

「(こんなに注意してるのに)(こんなに何度も失敗してるのに)なんでできないの!」

 

我が家で私がたびたび口にしてきた言葉です。主に夫に対して子育ての愚痴として発してはいましたが、叱責とともに子供に言ってしまったことも1度や2度ではありません。言ってしまった後でいつも、ゆしさんのように反省するんです、私の指導の仕方が悪かっただけなのに、息子らには息子らの理由があるのに、私の腹が立った気持ちをぶつけてしまっていただけなのに。

 

そして昨日も、うちに1台しかないタブレットの順番争いでケンカする息子たちに対してイライラがつのってガツンと怒ってしまっていたところでした。

 

※我が家では1台のタブレットを4人で共有しているので1日の1人の持ち時間が決まっていて、その枠内で私に予約を入れて使用するシステムになっています。

 

  

 

わからないならやってみようと。

2つのツイートが流れて来たのは今日のお昼休み明け、その直前の小一時間、私が自分の休憩時間をつぶしてやったこと、それは子供らが最近熱狂的にはまっている「マインクラフト」でした。

 

これまで息子たちがやっていたゲームは主に夫が自分もやっていたもの。なので内容については夫に任せ、子供たちのゲームの時間調整なども夫から助言をもらっていました。

でもマインクラフトは夫はやらない。ヒントがない状態で、なぜ我先にとやりたくなるのか、なぜ約束の時間が来てもなかなかきりをつけられないのか、その答えがどこにあるのかを知りたかったんですね。ならばやってみよう、とお昼休みにタブレットに入れてあるマイクラPEを立ち上げ、自分の新しいワールドを作成してみました。

 

ゼロからはじめるマインクラフト Pocket Edition版 完全攻略

ゼロからはじめるマインクラフト Pocket Edition版 完全攻略

 

 

 

右往左往

まず訳がわかりません。

なにをしていいやら。とりあえず簡単だと息子らが言っていたクリエイティブモードでスタートしたのですが何をしていいやらわかりません。

 

ひとまず家を造ろう、と目の前に広がるわりと平地に近い部分をならしていきました。なんかこれだけでかなり楽しい。

 

草を刈ったり段差を削ったりしているうちに辺りが暗くなったので「ベッドだ」とお荷物の中からベッドらしいものを探して草っぱらに置いて寝てみます。明るくなるとともにベッドが揺れ、目の前でブタが跳ねてました。

 

家らしくしたいのでレンガを積んでみました。

窓をつけたかったのでガラスをはめ込みたかったのですがなぜかガラスはレンガの壁のはるか向こうの草っぱらに突き刺さります。慌てて壊すとガラスを割るらしい音がちゃんとします。

 

壁を立てたところで問題が起こりました。屋根をどうやってつけたらよいかわかりません。困っていたら雨が降ってきました。これはギブアップなのか、夜に息子らに助けを求めねばならないのか…色々と試行錯誤して数分、なんとか屋根らしい部分をつけることができました。

 

気づいたら四角いレンガの中から出られなくなっていたので壁を壊してドアをつけてみました。

 

が、どうやってドアを開けるのかわかりません。何度かタップしたらドアは壊れてしまいました。

 

ここまででハタと時計を見たら、やり始めてからあっという間に1時間近く経過していました。恐るべしマインクラフト。

 

37歳児の感想

アホみたいですが、37歳、夢中になって1時間タブレットで遊んでました。面白かったです、ええ面白かった。そして、昼休み明けの仕事というタスクが私を待っていなければ恐らくはそのままタブレットを握っていたと思います。1時間はほんとうにあっという間で、もっと続きをやりたかった。仕事用のPCに向かっている今も、子供たちが寝静まってからあの作りかけの家を次はどうしようかとか、ドアの開け方を息子に聴くべきかググるべきかと考えたりしているのです。

 

どうしたらいいんだろう

私がこれだけ夢中に1時間を費やしたマインクラフト。さて息子たちがこのゲームをやる上でどうやって時間の調整をしたらいいんだろうと悶々と考えています。明確な答えはまだ出ていません。というかきっと私一人では出せないんだろうと思います。

 

私は今、息子たちと同じように「これおもしれえ」というスタート地点に立ったんだろうな、と思うんですね。

 

これまでは中身がわからないから「なんで区切りを自分でつけられないんだ!」とただ憤慨していたんだけど、でも「あぁその区切りつけづらい気持ちわかるわ」まで行き着いた。

 

特に細かいクエストが用意されているわけでもない、クリエイティブモードだと材料も豊富に手元にあるから何でも作ることができる。でも何か作り上げるにはとても時間がかかるし調整の手間もかかるから短時間では成し遂げられないものも多い、子供たちが言葉にしてるそれが、やってみてなるほどとやっと実感が湧きました。

 

私は大人なので、区切りをつけないと仕事に支障が出ること、仕事に支障が出たら収入に影響が出ること、それは困ることを知ってます。夜中やるとしたら睡眠時間を削ったら次の日辛いだろうなってことも、まぁ明日の業務内容ならなんとかこなせるかなとかってことも見通しを立ててやれます。

 

でも子供らはそうじゃない。

今の、目の前だけを見てるから目の前の楽しいこれから離れがたい。

 

この先は、こどもたちと。

やっぱり答えは、そう簡単には出ないんだろうと思います。

私が時間!と意識したのは昼休みがあける時間を何となく意識してたから。タブレット版マインクラフトの画面上には時計らしいものは表示されません。ということは前に書いたエントリのように、スタート時点でタブレットのタイマーをセットしていたら視覚的にストップの意識ができるかもしれない、その導入について相談してみるのもよさそうです。

 

子供たちのように熟達してきていたらだいたいの目算もできるかもしれないので、スタートする時点で「今日は洞窟の探索」「今日はこの施設を作る」という明確な目標を立ててそれが一段落したら時間を見る、という訓練もありかもしれません。その明確な目標をホワイトボードに書いたりするのも面白そう。

 

ゲーム内で昼夜が入れ替わっていくので、何回夜が来たら、というカウントで意識するような形もアリかもしれません。

 

ゲームの時間が終わった後にやるべきことをスタート時点で意識できるような取組も有効かもしれません。次の予定、次の楽しみ、次のタスク、次に順番を待っている人の存在、先を見通す訓練も必要かなと。

 

どんな方法が時間の区切りをつけ見通しを立てるために有効なのか、これから子供たちと色々と話し合う必要がありそうです。

 

その話し合いの場に向けて、私は子供たちの「なんで時間が守れないのか」が少し理解できるところに立てた、そのための1時間だったのかな、と思っています。

 

参考の過去記事

子供が親のお金を持ち出してしまったら。

毎週興味深く拝聴しているNHK第一ラジオの「すっぴん!」の育児相談、今日は尾木ママが答える回でした。

「息子が、親のお金を持ち出しているようです」

相談者:これから仕事さん(群馬県 30代 女性)

3歳、6歳、11歳の男の子3人の母です。1年ほど前から、家の中の物やお金がなくなることがあり、後に、長男の筆箱から弟の文房具が見つかったり、親のお金を持ち出して、ジュースなどを買っていたと判明したこともありました。なくなったお金を、誰がどうしたのかわからないことも度々ですが、年齢も低く、まだ一人でお金を使えない弟たちがとったとは、考えにくいです。
先日、長男の持ち物から、持っているはずのない500円玉が見つかり、確認すると「知らない」と言われました。その言葉を信じるべきだとは思うのですが、なかなか難しく、「あなたじゃないの?」と告げると、とても不満そうでした。これまで本人が認めた時には、しっかり話をしてきたつもりですし、お小遣いで足りない場合は相談するよう話していますが、うまくいきません。どうしたらいいでしょうか?

(参考:こそだてカフェ|すっぴん!|NHKラジオ第1

 

我が家の長男と同じ年齢の男の子に関する悩み、他人事ではないと尾木ママの回答をメモを取りながら聴きました。

 

お兄ちゃんとして頼りすぎ?

まず指摘されていたのは、母親と子のコミュニケーション不足でした。質問文の中に書かれていませんでしたが、このお母さんは1年前くらいから仕事を再開したとのこと。当時10歳の長男くんの下には2歳と5歳の弟がふたり。お父さんのことは書かれていませんが、協力があったとしてもお母さんが復職と保育園児2人のお世話で忙しかったことは想像に難くありません。

尾木ママはその環境の中で「気づかないうちにお兄ちゃんとして長男を頼ってないか」と問いかけます。

 

これ、我が家でも身に覚えがありすぎる事態です。11歳の長男の下は9歳次男、8歳長女、5歳三男。このお宅よりは年齢的な余裕はありますが、多忙で家に居ないこともある夫をあまり頼れないときには私の代わりに長男にあれこれと責任のあるお世話を依頼することもよくあります。自分の中でつい「お兄ちゃんがいるから大丈夫かな」という気持ちがどこかにある。頼っているんだなぁ…と。

 

もちろんお兄ちゃんとしてお手伝いをしてもらうことそのものが悪い訳ではないと思います。ただ、尾木ママは復職した後に長男のお兄ちゃんとしての役割が増え、気づかないうちに負担が増えている可能性はあるかも、と指摘していました。

 

コミュニケーション不足からのすれ違い?

お母さんの多忙と長男くんの負担の増加、ここから、コミュニケーション不足が起こっていないか、と尾木ママは続けます。長男くんが例えば「お金がほしい」と伝えるような言動があったときにお母さんが忙しさから「後でね」と流してしまっていたりして正面から長男くんを受け止められないことはなかったか、と。お金を持ち出す行為は受け流してしまうことで長男くんが「聴いてもらえない」と思い、自分で動いてしまった結果かもしれない。

丁寧なコミュニケーションに時間が割けなかった結果、長男くんが自分で行動を起こしてしまったとしたら、疑ったり問いただしたりするのではなく長男くんの声をゆっくりと聴く必要があるようです。

 

対応策①「どうしたの?」

おうちのお金に手をつけてしまった長男くんに対して親としてつい問いつめたくなってしまうかもしれません。状況証拠から恐らくは長男くんが人の物に手を付けているのは間違いなさそうだったとして「あなたが取ったの?」「お金を取ったのはあなたじゃないの?」と聞いてしまいたくなるかもしれませんが、尾木ママはそれをNGと仰っていました。

狭い質問ではなく広い質問を

質問の内容を狭めてしまうと子供は答えに困窮し、結果「知らない」とか「わからない」と黙してしまう可能性が高いそうです。これ、我が子に対しても実感のあること。特に多弁ではない男の子の場合どう答えてよいかわからなくなったときに短い言葉や声にならない言葉で会話を途切れさせ、そこから感情を閉ざしてしまいがち。

 

「犯人はあなたでしょう?」という回答がYesかNoしかない狭い問いではなく、「どうしたの?」と広く受け止められる言葉を投げかけることでそこから本人の言葉を引き出していくことで長男くんの抱えていた問題行動の原因となる気持ちが少しずつ見えてくるかもしれません。

この傾聴には私のブログに何度も登場しているこの本がやっぱりお勧めです。

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

 

 この本について実践してみた過去記事はこちら。

かなり厚いですが、章に沿って少しずつ自分のペースで子供たちの気持ちを引き出すためのメソッドを実践できる1冊です。

 

心の声に耳を傾ける

「あなたでしょう」と決めつけたり、「お金を取るのは悪いことだ!」と決めつけてしまわずに丁寧に子供の気持ちに寄り添って声に耳を傾けることで少しずつ子供が抱えていた言葉にならなかった色々な気持ちが見えてくるかもしれません。

 

「お母さんが忙しそうだったから自分で借りてしまった」とか「自分で考えなさい、って言われたからそうしたんだよ」とか、子供なりの事情が出てくるよと尾木ママも仰っていました。

 

共感と説明、そして相談

そうやってやっと言葉にすることができた子供なりの事情を頭ごなしに否定することなく「そうなんだね」と受け止め、「そんな気持ちだったんだね」と共感する。そして、お母さんにはお母さんの事情があることを説明し、どうしたら良いかを一緒に考えていく。

 

問いつめられて「知らない」と言ってしまった長男くんは「お金を取るのはやってはいけないこと」だというのはわかっているはずです。それでもその問題行動に至ってしまった。そこに必要なのは叱責や矯正ではなく、言葉にできなかった声に耳を傾け、お母さんの事情も丁寧に伝え、家族として協力していけるための対策を一緒に考えていくことなのだと思います。

 

対応策② お母さん自身の自己管理

もう一つ注意しなくてはならないこととして尾木ママが挙げていたのは「お母さん自身の自己管理」でした。

お金を取られて「いるかもしれない」、という不確定な状態になってしまっていることの問題点を指摘し、子供がもし手を付けたらすぐに気づくことができるような自己管理が必要だと仰っていました。ごもっとも、ですよね。私も片付けがそもそも苦手なうえに自宅に帰ってから慌ただしくカバンをそこらへんに放り投げてしまうこともよくあるのでこれは注意しなければと反省です…。自分の財布に1円単位で今いくら入ってるかも把握しきれてない…要注意です。

 

対応策③ 頼り過ぎない

弟妹がいる場合、親は多忙から上の子のことを頼りがちになりやすい、と指摘されていました。お手伝いやお世話が情緒や家事育児スキルの習得のためのメリットになる部分もあるだろうとは思いますが、あまり頼り過ぎないよう意識する必要はあるのではないか、と尾木ママも指摘されていました。

特に思春期やその入り口にいる男の子は口数が少なく負担に感じていてもそれを表に出さないケースも多いのでより注意が必要だとのことです。

長男もまさに前思春期、いつも頼りがちですがそれが負担になり過ぎてないか注意していかねばとまたまた反省です。

 

犯罪の目なのでは?

番組内ではTwitterなどで寄せられたリスナーの声として、「これは犯罪の目なのでは?」という質問が来ていました。尾木ママはこれを「全く違います」とバッサリ。

家庭の中だけで起こっていることであればそれが犯罪に繋がるということはまずない、と仰っていました。

気になるようであれば、学校など自宅外の場所で同じような行動がないかは確認した方が良いとアドバイスされていました。学校の備品や友達の持ちものを引き出しなどに入れてしまうなどの行為が無いか。もしそれがあれば問題の対処法はまた変わってくるのかもしれませんが、もし自宅の中だけで起こっているのであればこれは犯罪に繋がる話ではなく「親子関係の問題」だとお話され、提示されたようなゆっくりとお話ししたり負担を軽減したりするような長男くんの気持ちに寄り添っていく対応を勧めておられました。

 

便利に使われちゃう「コミュニケーション不足」「愛情不足」…

ここからは私の感想です。

お金を取ったのがコミュニケーションが足りなかったから。

「コミュニケーション不足じゃないですか?」「愛情不足じゃないですか?」これ、子供の問題行動に直面したときに親が言われる一番耳が痛い言葉ではありますよね。そして問題を抱えた子について保育園幼稚園や学校で指導者側から飛び出してくることも多い言葉でもあります。働くお母さんには本当に身につまされる、ぐさっと刺さる言葉。

便利なんですよね、問題行動の原因を「おうちにあるんじゃないですか?」「コミュニケーションが足りないんじゃないですか?」「接する時間が短いんじゃないですか?」って投げてしまえば保育や教育の現場に原因は求めなくて済むから。

私も長男が学校に行けなくなったとき担任からまず言われました。

「寂しいんじゃないですか?」「親子で過ごす時間を増やしてみたらどうですか?」

 

結果から言うと長男の不登校の原因は担任だったので的外れな助言だったのですが、親子で過ごす時間を増やし、私が長男の言葉にゆっくり耳を傾けることを強く意識し始めてからやっとその原因が少しずつ見えて来たのも事実です。私や夫が日常的に長男のうまく言葉にできない気持ちを汲み取るような傾聴に時間を割けていたら不登校に至るまえに気づくことが出来ていたかもしれない。

 

子供の問題行動があらわれたとき、その原因がすぐにわかることの方が少ないかもしれません。原因はコミュニケーション不足かもしれないし、そうではないかもしれない。

短絡的に「愛情不足だろう」と結論付けて親のせいだけにしても何も解決しません。乱用されるこの言葉に不快感も懸念も覚えます。

 

ただ、今回のお悩み相談に関して言えば尾木ママの出したこの結論、私は的確だったんじゃないかと思うのです。適当に責任を親に投げているのではなく、ゆっくり耳を傾けてあげればきっと解決するだろうという見通しを感じられたからです。傾聴を通してもしかしたらコミュニケーション不足以外の長男くんが抱える問題が見えてくる可能性もあるのかもとも思います。

 

寂しいから、お金を取る?

もう一つ感じたこと。寂しいから、親が話を聞いてくれないからお金を取るなんておかしいと思う方もいらっしゃるかもしれません。自分も親にあまり構ってもらえなかったけどお金なんて取ってない、という方も。

 

ここ、イコールで語るのは危険だと思うんですね。「子供の話をちゃんと聴かないとお金を取る子になるよ」ではないんです。この相談のなかの長男くんの抱える問題がたまたま「お金を取る」という形の問題行動として現れてしまった、ということだと私は思います。

 

これまで私のブログの中でもたびたび子供の問題行動については触れてきました。

子供たちは自分の中に何かしらの問題を抱えた時、それを色々な形で表出させます。爪かみや自傷行為などの自分に向かう形もあるかもしれませんし、おねしょやお腹を痛がるなどの体の不調として出てくるケース、暴言や学校での態度が悪くなったりという不適切行動として出るケースもあり得ます。

その行動そのものを抑えても子供たちがどんな問題を抱えていたのかは見えないままです。そしてその問題をお腹の中に隠したまま大人になってしまうことはとても危険です。爆弾としていつ爆発するかわからない。

 

問題行動は一つのサインです。

今回のお悩みのケースだと「お金や物を取る」という行為として現れた子供の問題を早い段階で丁寧に耳を傾けることで引き出し、行動そのものを否定することなく行為がなくなっていくまで寄り添っていくことで将来の爆弾の芽を一つ摘めるのかもしれません。

 

おわりに

「子供がお金を取った」その行為にもし直面したら、犯罪者としての未来がちらつき、親として恐れおののいてしまうかもしれません。ショックで子供に辛く当たってしまうかもしれない。

でもきっと、一番しんどいのはその行為を親に知られてしまった子供なんだろうと思うんですね。小さな体で、一番大好きな人を悲しませたり、怒らせたりしてしまった現実に直面している子供たちにどこまで寄り添ってあげられるのか。

問題行動に直面するのは親としてとても辛いけれど、でも将来に問題を残さずに済むチャンスを与えられているのかもしれない、と私は思います。しんどさを配偶者や親しい人たち、ネットでも構わないと思う、子供以外の色んな相手にうまく吐き出しながら、子供たちに寄り添っていける親でありたいと改めて思いました。

 

※余談ですが、いつでも完璧な親は無理です。先日のエントリでも触れましたが、3割できてれば上々、そのくらいの気持ちで7割できてない自分に自分で寄り添ってあげながら今日もぼちぼちがんばっていこうかなと、そんな感じです。

我が家の本棚から、歴史漫画を紹介します

めずらしく大河ドラマを観てます。どれ以来だろうかと考えてみたけど想いを馳せたところで宮沢りえちゃんの豪姫が浮かんでいやそれ大河じゃなくて映画じゃなかったかとか思う程度に記憶が錯綜するくらい長いこと観てなかった気がするのだけれど、それは私が戦国時代の歴史にとんと興味が無いから。

 

真田丸にしても時代背景とか全然わかってないので先日の織田信長さんがなんかとても怒ってるシーンにしても

こんな程度です。

でも別に歴史そのものに興味が無い訳でもなく、興味のある分野に関してはやたら読みあさっているので日本史でも世界史でもとびとびですごく詳しいところと全く知らないところがある感じだなぁと思いながら本棚を眺め、歴史系の漫画が意外と多いことに気づいた朝でありました。

 

ハードカバーは重くてかさばるから図書館で借りたり手放したりしてしまってるものが多いのだけど、コミックは子供らがそのうち興味を持つかもと思って残してるものが多かったんだなぁと。

 

というわけで今日は趣向をかえて我が家の本棚の歴史漫画を紹介してみようかと思います。

 

池田理代子ベルサイユのばら

王道です。オスカル様です。小学生のころ従姉のおねえちゃんの本棚から借りて読んだときの衝撃、バイトするようになってすぐに大人買いしたあの日を思い出します。

 

池田理代子さんはこれが多分歴史ものとして一番有名なんだろうとは思うんですが、他にも「栄光のナポレオン」や「女帝エカテリーナ」「女王エリザベス」などの世界史ものも多く、同時期に実在したそれぞれの人物が別の作品に登場していたりしていて、歴史の横のつながりを自然と理解することができたりもします。

モンストで「ナポレオン」の名前を知った次男が先日本棚の前に座って一生懸命読んでました。ルビがふられてないのでちょっと難しかったかもしれません。

 

エカテリーナのかつての恋人のその後を描いた「天の涯まで〜ポーランド秘史」も世界史などであまり登場しないマイナーな部分ですが好きな作品です。

天の涯(はて)まで―ポーランド秘史 (1) (中公文庫―コミック版)

天の涯(はて)まで―ポーランド秘史 (1) (中公文庫―コミック版)

 

池田さんの作品は西洋のものだけでなく「春日局」「聖徳太子」などの和ものもありでかなり読みあさりました。

 

里中満智子「天上の虹」

日本の歴史ではまったのは日本書紀の時代を描いた里中満智子さんの「天上の虹」 。

天上の虹 全11巻セット (講談社漫画文庫)

天上の虹 全11巻セット (講談社漫画文庫)

 

中大兄皇子の娘である持統天皇の生涯と描いた作品です。資料の少ない時代なので作者の空想の部分もかなりあるんだろうとは思いますがこの時期を扱う漫画は少ないので今も本棚に残してあります。たしか高校生の頃から買い始めて完結したのはつい最近。自分が鸕野讃良皇女(持統天皇)と一緒に成長していったようなそんな思い入れ深い作品でもあります。

「天上の虹」のスピンオフ的な作品として「長屋王残照記」や「女帝の手記」などの続編も出ていて、教科書で有名な平安時代の藤原家の隆盛に繋がる部分を読むことができます。

 

長屋王残照記 (1) (中公文庫―コミック版 (Cさ1-16))

長屋王残照記 (1) (中公文庫―コミック版 (Cさ1-16))

 
女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語 (1) (中公文庫―コミック版)

女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語 (1) (中公文庫―コミック版)

 

 

安彦良和「ナムジ・神武」

持統天皇よりさらに過去、神話の時代を描いているのが安彦良和さんの「ナムジ 大国主」や「神武」。

 

古事記の昔のお話です。

初めて読んだのはかなり前だったと思いますがガンダムのあの絵柄で描かれた神話の神々の美しい絵にもかなり惹かれたのを覚えています。

 

安彦さんの作品では近代ものの「虹色のトロツキー」も好きです。

 

山岸凉子「レベレーション(啓示)」

まだ1巻しか出ていないですが「日出処の天子」の山岸涼子さんが描くジャンヌダルク、即買いました。

レベレーション(啓示)(1) (モーニング KC)

レベレーション(啓示)(1) (モーニング KC)

 

1巻はジャンヌが村を出るところまで。 山岸さんらしい切り口、続刊を心待ちにしてます。

前述の安彦良和さんもジャンヌダルクを描いています。こちらもお勧め。

ジャンヌ

ジャンヌ

 

 余談ですが山岸さんはバレエ漫画も良いですよねえ…

 

よしながふみ「大奥」

男女逆転の大奥をえがいたよしながふみさんの「大奥」
ファンタジーの要素がかなり強いですが男女が逆転しているという部分以外の史実はかなりしっかりと描かれている印象があります。よしながさんの美しい絵で描かれる見目麗しい男子を楽しめます。

大奥 1 (ジェッツコミックス)

大奥 1 (ジェッツコミックス)

 

 

こうの史代「この世界の片隅に」

以前このブログでも描いたことがある、こうの史代さんの戦時中の広島を描いた作品。歴史ものというには近すぎる過去かもしれませんが。

私がこれまで読みあさった戦争に関する漫画の中で唯一と言えるかもしれない「戦争のなかの日常を丁寧に描いた作品」だと思います。戦争を扱う作品にどうしても感じてしまっていた、登場人物たちがなぜか8/15に終戦を迎えることを知っているようなそんな未来人的な雰囲気。それををまったく感じない、戦争のなかで私たちと同じように怒ったり泣いたり笑ったりする家族のさまを描いた名作です。

この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)

この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)

 

 こうのさんの作品は先に実写化されている「夕凪の街 桜の国」もとても好きです。

原爆を扱う漫画にありがちな凄惨さや悲惨さを前面に出した感じではなく、淡々とした日常に戦争や原爆がじわじわと影響を及ぼしていく様子がこうのさんのやわらかい絵と印象的な言葉で丁寧に綴られています。

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

 

 

竹宮惠子「紅にほふ」

著者竹宮さんのお母さん姉妹をモデルに戦前から戦後までの満州花柳界やその周辺の様子が描かれています。実在の身内からのお話が元になっているだけあってかなり細かい生活の様子を感じられる作品です。

紅にほふ (1) (中公文庫―コミック版)

紅にほふ (1) (中公文庫―コミック版)

 

満州での庶民の生活の様子や戦況が段々と悪化していくさま、終戦直後の混乱や終戦時の立場により違っていた日本への引上げの実情などが詳しく描かれています。

 

おまけ

私の本棚の隣に並ぶ夫の本棚は私よりさらに歴史漫画が詰まっています。そちらから少しご紹介。

横山光輝項羽と劉邦」「三国志

夫が中国の歴史に目覚めたとっかかりとなったようです。ここから夫の中国歴史オタクへの道が始まったのだなぁ…

 

原 泰久「キングダム」

中国の春秋戦国時代を描いた作品。これはアニメ化もされてたみたいで息子らも一緒に観てました。

 

王欣太蒼天航路

中国の歴史続きで三国志もの、曹操孟徳のお話だそうです。かなりお気に入りの様子でトイレとか寝室とかによく置き去りにされています。極厚という分厚いのが本棚のかなりの場所を占めているようです。

極厚 蒼天航路(1) (KCデラックス モーニング)

極厚 蒼天航路(1) (KCデラックス モーニング)

 

 

宮下英樹センゴク

センゴク」「センゴク天正記」「センゴク一統記」とかなりの巻数があるようで本棚にずら〜っと並んでいます。

センゴク(1) (ヤングマガジンコミックス)

センゴク(1) (ヤングマガジンコミックス)

 

これ、実は私が夫の蔵書の中で唯一読んでいる作品です。

戦国時代の歴史に全く興味を持てない理由を昔夫に問われたときに色々考えてでた結論が「歴史を男の人しか動かしてないから」

それまで読んで来たいろんな小説や観て来た映像ではどれも女性は政治の道具に使われるだけで主体的に動いている姿をあまり感じた記憶が無く、男性主導の時代というイメージでつまらないと感じていたような気がします。茶々様のお話なんかも知らなかったわけではないですが全体的に男性ばかりが活躍しててあまり興味が向かなかった。そんな私に「じゃあこれなら」と進めてくれたのが「センゴク」でした。

絵柄的にも男の人向けの漫画らしく馴染めない部分も結構に多いのですが、茶々様はじめねねやお市の方など知っている女性がなんか良い感じに人間臭く描かれていて新鮮でした。

 

おわりに

ながながと紹介してきました。たいていがこれをとっかかりにそこから色々と読んだり映像を観たりしていく導入になっていった作品です。子供たちが既に読んでいるものもあればまだのものも。歴史ものにつきものの男女の性愛を描いているシーンが露骨なものも含まれているのでその辺は様子を見ながらという感じです。

内容が史実に忠実でないものやファンタジーの要素が強いものも含まれていますが私は導入になる漫画は必ずしも正確でなくてよいのかなと思っています。興味をもつ、そこから広げる、ということが大事なのかなと思うのです。その結果あの漫画のあの考察は違ってたんじゃないかとかを考えることもまた楽しみの一つなのかなと。

歴史ものの好きな夫もよく映像化されたものを観ながらその表現に苦笑いしたりと思いと違う様子のこともあるのだけど「その時代に生きてた人はもういないわけだから誰が正解かなんて考えても仕方ない、人により色んな解釈ができるところも歴史ものの面白さだから」と言っていてなるほどな〜と。

100ゼロ思考、正しいのは何か、とつい考えがちな私にとってはファジーさを受け入れる柔軟さを培う上でも色んな人が色んな視点から描いた歴史ものをあれこれと読んでみるのは良い訓練になっているのかもしれないなぁと考えたりしています。

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