わんこの話題が続きましたが、今日は三男を通して考えた、不登校とお勉強の関係のこと。
「勉強が遅れる」という(親の)強い不安
現在小4の三男が完全不登校になって3ヶ月。
当初私が一番心配したのが「学習の遅れ」でした。
学校に通えるようになったときについていけなかったらどうしよう。
4年生の履修内容が理解できないことで将来的につまずいたらどうしよう。
もし三男が一人っ子や長子なら、もしくは親として初めての不登校経験なら。
私はお休みの間もなんとか三男に遅れを取らないよう学び続けさせねば、と躍起になっていたと思います。
それくらい、学習の遅れは不登校児を抱える親にとってもっとも大きな不安要素かもしれません。
私が今回そこまで強い不安にとらわれずに済んだのは初めての経験じゃなかったから。
同じく4年生で学校にいけない時期や教室に入れない時期があった長男が目の前で立派に志望の高校に楽しく通っているから。
今回も不安は波のように何度か襲ってきているけれど、その度に長男の時のことを思い出しながら「ここでぐっとこらえて支えたら絶対大丈夫」と呪文のように唱えてやり過ごしています。
大丈夫、とは言っても。
とは言っても、やはり他の子が1日6時間びっしり授業を受けているだろう時期に十分とは言えない学習量とゲームや動画やアニメ三昧の三男。
今、三男の学習は不定期に通っている適応指導教室での自習と、週1回の家庭教師(次男の学習支援の先生にお願いできました)のみです。
学校に行きたくなったときに何もわかんないと困るから最低これだけはしといたらどうかな、という打診のもと、それさえやるなら日中の過ごし方には口を出さない、という契約を締結して今に至っています。
家でゴロゴロしながら動画を見ている三男を眺める私の心中は、正直常に穏やかとは言えません。
「このままでいいんだろうか…」という不安に襲われることもしばしば。
不安と「絶対大丈夫」という呪文とを波のように繰り返す中で悶々と考えていたこと、それが「彼にとって学ぶモチベーション、なくない?」ということでした。
小学生にとっての学びのモチベーション
「なんで勉強しないといけないの」と子供に問われたら、みたいな話、よく出るじゃないですか。
(そう言えばそんなエントリを書いたこともあったなと思い出したら6年も前でした)
改めて読み返して、そうか、4年の頃の長男は夏休みの宿題の途中でこんなこと言ってたんだなぁと懐かしくなっております。
三男は「なんで勉強しなくちゃいけないの?」とはまだ言っていませんが、心の中で思ったことはあるんじゃないかな。
このエントリのブコメでもいろんな「勉強する理由」が論じられているけれど、じゃあ4年生の長男に、三男に、それを理解して邁進することができたかな、できるかな、っていうと、そんなの無理よなぁと思うんですよ。
例えば宿題に特化して考えると、小学校の、特に低学年〜中学年くらいの子たちにとってのモチベーションって
「終わらせたらアニメみれる(ゲームできる)」
「やらないとお母さん(お父さん)がうるさい」
「はなまるが5回続いたら1回おやすみ券がもらえる」
「きれいに書いて先生に褒められたらうれしい」
「宿題忘れ、のところに名前を貼られたくない」
「やり直しさせられるのがめんどくさい」
とか、そんなもんなんですよね。
「この宿題に取り組むことにより知識を得、自由を手にするために僕は学ぶ」なんていう崇高な考えを持ってやってる子もいるかもしれないけれど、多分とても少数だと思う。
とりあえずうちの子やうちの子の周りにいる多くの子たちが毎日宿題に取り組んでる理由ってこんなんだなぁと思うんですね。
大人しく座って授業を受けるのも多分似たようなもので
「先生の話が面白い」
「授業態度がいいとほめられたら嬉しい」
「授業態度よしのシールを貯めたい」
「うるさくして注意されるのがイヤ」
「あとで呼び出されるのがめんどくさい」
とかそんなもんだと思われ。
その程度の狭い視野と近い見通ししかない状態で学習してるような年齢の三男。
行きたくない学校とほめられたいと思ってない先生…
自宅ではやらないといけない仕組みの中にいない状態…
そりゃモチベーションも上がらんわなぁ、と。
家で私がモチベーションを保つためにどんどん働きかける、というのも手かもしれないけど、家庭はがっつり安全基地にしたい私にとってそれは避けたい選択肢。
というわけで家庭教師の先生とお勉強がんばったらアイス食べようとか、漢字覚えたらマック行こうとか、小さなご褒美でモチベーションをそれなりに保ちながら低空飛行を続けている感じです。
おわりに
今回改めて「勉強させないと」の不安を掘り下げながら、あぁこれは私の課題だなぁ、と痛感しています。
「三男のため」という皮を被った私の不安、私の問題。
思い出すのは長男の4年生の頃。
不登校の状態を受け入れきれず彼にはかなり辛い思いをさせてしまったなぁと思うのです。
長男と2人、わんこの散歩をしながらポツポツと三男のことを相談することがあります。
「自分の未熟さで君をかなり傷つけた」と謝る私に、フフンと鼻で笑う長男。
三男がいつか長男のように外に歩き出す、と私が信じていられるのは、並走してくれる家族がいるからかもしれないなぁと、ぼんやり考えたりしています。