思考の整理をしにきました。
TLで流れてくる「緊急避妊薬市販化」「夫婦別姓」あたりについて悶々と考えている中での話です。
ツイッターでズイショさんという白い犬と仲良くさせていただいているんですが、先日こんなことをおっしゃっておりまして
あれ推進派も「望まない妊娠を無くすのが最優先。それで多少風紀が乱れようが性病が増えようが知ったこっちゃない」くらい言い切った方が反対派の論点が明確になっていいと思うんだよな。「望まない妊娠より風紀の乱れを防ぐのが大事なの?風紀の乱れを防ぐ手立てって他にないの?」て。
— ズイショ (@zuiji_zuisho) 2020年7月30日
色んな話題で「推進派」が反対派の論拠に対して「そんなことは起こらない、考えすぎだ、そんな問題はない」の方向で反発しちゃうのはよく見かけて、それはそれでずるいっちゃずるいんだよな。「悪影響はあるだろうがそれは知ったこっちゃない」って言い切る悪さも必要だと思う。
— ズイショ (@zuiji_zuisho) 2020年7月30日
で、そのずるさってどこから来るっていうとやっぱりそれは「被害者を作る側」に回りたくない、その事実を受け入れがたいってそとなんだと思うのよ。自分は被害者の側で弱者の側で配慮される側でいたい、その立場としてしか声をあげたくないって感覚があるんじゃないかなと睨んでる。
— ズイショ (@zuiji_zuisho) 2020年7月30日
まあもちろんそれは自分の問題を矮小化されてきて辛い思いをした経験があって、相手を恨んだ経験があって、自分がそんなふうに誰かに辛い思いをさせたり増してや恨まれたりなんかしたくないってのはわかるんだけどね。そこを踏み込んでいく強さだけは「弱者」にも本当は必要なんだと思うよ。
— ズイショ (@zuiji_zuisho) 2020年7月30日
自分の悶々と考えてたことをスパッと言葉にされたような気がしたんですよね。
ズイショさんの指摘するような「お前らの痛みなど知ったこっちゃない」って言い切るの、すごく冷たくて残酷なような気がするじゃないですか。
でもそうじゃないな、と思ったの。
「あなたの痛みなど知ったこっちゃない」
というとき、そこに痛みがあることは否定してないんだよね。
あなたにはあなたの痛みがあるんだね、そこは否定しないよ、あるんだね、っていう、そこに立ってるからこそ言えることなんだよなぁと思ったのね。
なんでこんなことをわざわざ書こうかと思ったのは、さっきこんなのが流れてきたから。
(ツイートをお借りします)ピルを処方してもらうときにはこんなに恥ずかしい検査や問診はありません。あまりに事実と異なっていて激おこです。
— 加藤 (@niya_rist) 2020年8月1日
以下長文メモ帳↓(リプに続きあり) https://t.co/VBxxj1ERRh pic.twitter.com/0dlRhTc2ek
こういう、男女を入れ替えて女性の苦しさを理解してもらおう、的なやつはいろんなところで目にするんだけれど、いつももやっとした違和感があって。
それがなんか紐解けたような気がするのですね。
結論から言うと「無理じゃん」だと思うの。
どんなに立場を入れ替えても、想像してもらっても、現実に緊急避妊薬のお世話になったり、ピルを常用している女性の抱えているものって絶対にわかんないし、それわかってもらう必要あるのかな、って。
「私は苦しい」
「私は権利を侵害されている」
その当事者からのメッセージを、何かを入れ替えたり表現を変えたりしてこねくり回す必要はないんじゃないか、と思うの。
まっすぐそのままでいい。そこにあるんだもの。
そして、その自分たちの、また誰かの苦しみがそこにあることを誰も曲げずかえずそのまま受け取るということは、翻せば別の立場の人たちのそれもそのまま、ということだとも思うの。
緊急避妊薬の市販化に【私には理解できないけれど】否定的な人がいる。市販化されることに対する心理的な不安や懸念を持つ人がいる。
夫婦別姓が法的に認められることにより婚姻時に同姓か別姓かを選べるようになってしまったらそれにより苦しむ人が出る。それを避けたいと考えている人たちがいる。
こういう話に直面すると説得したくなるものなのかもしれない。
「いや、あなたたちのしんどさはこちらに比べれば大したことないんですよ、だからこちら側の主張を認めてもらえれば」と話したくなるのかもしれない。
それ、一見平和的な態度に見えるけど、ズイショさんが指摘してるように、自分が被害者サイドに立った状態でやんわり対応しようとしながらも相手のしんどさを完全否定してる、それってどうなの、って。
この手の漫画のような「わかってほしい」という話にいつも違和感があったのは、弱者の側に立って反対勢力を説得してあげるように見せていて、実質は相手のしんどさを低く見積もったりゼロカウントしたりしているズルさにモヤモヤしてたんだと思う。
これ、ハンディのある子の支援について話し合うときにもやりがちだなぁと思ったりするのです。
我が子のハンディについて学校や周囲と話し合っていく中で、自分の子供や自身のしんどさにクローズアップするあまり「みんなはしんどくないだろうけどうちの子しんどいんです、理解してください」っていう話に流れがちだなぁって。
でも実際には周りの子達や先生方もそれぞれにしんどさを抱えてる。
じゃあそれに忖度して主張を取り下げたりする?それも違う。
そっちにはそっちのしんどさはあるよね、でもそれはこちらの課題じゃない(=知ったこっちゃない)
こちらにはこちらのしんどさがあるので、あなたのそれもある前提で、じゃあどうしていこうか、っていう話をしよう。
学校との交渉はいつも割とこんなスタンスだったんだけど、ズイショさんのご意見を受けてスッキリ言語化できたような気がする。
勢いでダーっと書いてお昼になっちゃったからこれでおしまい。
読み返したりしてないから、あとで読み返してこそっと手直しするかも。