スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

毎日続いた次男のお迎え要請の話。

相変わらず適当な更新頻度で書いています。ご無沙汰しております。

 

今日はきしもとたかひろさんのこのコラムを読んでの感想文です。

grapee.jp

全編を通して、読みながら我が子や学校の子どもたちや読み聞かせで出会う子達や、たくさんの子どもたちの顔が浮かんできて、そして読み終えたときはじわっとこぼれそうになる涙をこらえている自分がいました。

 

あいも変わらずやさしいきしもとさんの視点。

このコラムのイラストそのまんま、腰を下ろして子どもと同じ目線でいようとするからこそ見えているものなんだろうなぁと、書かれているものを読むたびに考えさせられる自分に出会います。

 

このコラムを読んでから、この夏の次男の送迎のことをつらつらと思い出したので久しぶりにブログに書いてみようかと思った次第です。

 

歩いて帰れない、次男さん

我が家の中学生は徒歩通学で、部活のない次男は基本的には下校時間とともに学校を出ることになっています。

 

コロナ休業が明けて登校が再開し、梅雨に入ろうかという頃から午後2時〜4時の間に私の携帯電話が鳴る日が続きました。

 

電話の主はきまって中3の次男の担任。内容もいつも同じ。

「次男くんがしんどいといって休んでいます。熱はありません。お迎えにきて欲しいといっていますので、来られますか」

 

私の返事もいつも同じ。

「はい、すぐ行きます」

 

保健室にいる日もあるし、私の車が入ったのを見て保健の先生や担任と一緒に出てくることもあるけれど、基本的には一人で歩けないほどフラフラしながら先生にカバンを持ってもらう次男。

 

車に乗せて連れ帰って、水分を取らせて少し休ませること30分ほどでいつもの元気を取り戻すのも毎日同じ。

 

コロナのこともあるんだろうな、担任の先生は毎日「その後どうですか?」と丁寧にお電話をくださる。

私の返事は毎日同じ、「はい、休んだら良くなりました。」

 

 

連日の、先の見えないお迎え要請

熱中症かなぁとも思いましたが、熱も出ないし休めばすぐ良くなる。

原因もよくわからないまま、電話は毎日続きます。

 

1週間を過ぎた頃から、一体これはいつまで続くんだろう、という気持ちが私の中に芽生えるようになってきました。

時間の自由がある程度きく仕事をしているとはいえ、毎日2時間くらいの時間を「どこで電話がかかるかわからず即時対応せねばならない」という案件のために備えねばならない。

打ち合わせもなるべくその時間にかからないように調整したり、という手間も出てきます。

 

歩いて帰れないとはいえ帰って休めばピンピンして「おやつない?」とか言ってくる次男にモヤモヤし、なんともいえない言葉にできないストレスがじわじわと積み重なって優しく対応できなくなり、またそんな自分に嫌気がさしてストレスの元になる。

 

よくないループに落ち始めているのを感じていました。

 

数日に1回くらい、電話のかからない日もありました。

なぜかはいまだによくわかりません。

そしてそこで期待して、また翌日電話がなってがっかりして迎えにいく。

 

たかだか迎えにいくだけのこの時間を負担に思う自分がダメなんじゃないかとか、いやこのくらいの距離を歩いて帰らないのは次男の甘えじゃないのかとか、悶々としつつも連絡があれば迎えにいく以外の選択肢がない日々が続きました。

 

「次男くん、座ってるだけでもものすごく頑張ってるからね」

お迎え要請が続くなか、かかりつけの児童精神科の診察日がやってきました。

いろんな相談をする中で、彼の毎日のお迎え要請のことも先生に伝えました。

 

フラフラする、頭痛がする、などの彼が訴える症状から熱中症とかなのかなぁと私が話すと、先生は「頑張りすぎじゃないかな」と。

 

他の子が当たり前にこなしているからあまり注視されにくいけれど、発達障害のある彼にとって「遅刻しないように学校に行って、1時間目から授業を聞き漏らさないようにじっと座って聴く」という行為はものすごく体に負担のかかる行為だと思う、と。

 

次男は授業をかなり集中して聴いているだろう、と学習支援の先生からも言われていました。宿題に割く時間が少なく自宅学習もほとんど出来ないのにある程度内容を理解できているらしく、授業で聞いたことをしっかり覚えられているからだろう、とのこと。

 

主治医にその話をすると、聴覚認知が弱く、外部からの刺激で気をそらしやすい彼にとって先生の話を聞き漏らさないようにすることには相当のエネルギーがいるんじゃないか、とのことでした。

 

「次男くん、そんな状況で休まず毎日通ってるのはすごいことよ」

「ものすごく体に負荷がかかっているということを意識して家では休ませてあげて」

 

と先生から指導を受け、連日の体調不良の訴えに何か別の病気があるのではと心配してくださっていた学校の先生方にもその旨をお伝えしました。

 

いつまで続くのかなぁと思っていたら

毎日毎日なっていた私の携帯電話。

夏休みの明けた頃からだんだんなる頻度は下がっていき、真夏の日差しが落ち着く頃にはなることはほとんどなくなりました。

 

いまだに、その原因はよくわかりません。

気温が下がってきたからなのか、コロナ明けでハイスピードの授業が落ち着きを見せてカリキュラムに余裕が出てきたからなのか、暑さが和らいで帰り道に彼がよく立ち話をする近所のじいさんばあさんがよく外に出るようになったからか…

 

いつの間にか次男は一人歩いて帰る日が増えていき、私も毎日の電話を待つ暮らしは気づけば終わっていました。

 

きしもとさんのコラムを読んで

連日のお迎え要請で私はすごく疲弊してしまったし、結局なんでお迎えが必要だったのかもよくわからないまま。

 

きしもとさんのコラムの中で

その人にしかその苦しみはわからない、という至極当たり前のことを忘れて、苦しむ人が弱いのだと、それを悪いことのようにしてしまう。

忍耐力が足りない?みんな我慢してる?その事実があったとしても、それでしんどさはなくならないのに。

って書かれてるのを読んで、あぁ、本当にそうだなぁ、って車の中でシオシオになってた次男の姿を思い出す。

 

けして優しさ溢れるお母さんではない私は多分、仕事を中断したり暑い中車を出したりしてイラッとしてたと思う。

 

車の中から見上げた校舎の中には彼と同じ年の子どもたちがぎゅうぎゅうに詰まっていて、みんな彼よりもっともっと頑張っているように見えてしまう。

なんで君は我慢できないの?なんで君はもっと耐えられないの?と心の何処かで思っていたような気がするし、きっとそれは次男に見える形で私から漏れ出ていたと思う。

 

お医者さんからの言葉もズシンと自分に重く響いて、彼の抱えているものを見落としていた自分が情けなくもなった。

連日のお迎えの中で、だんだんと迎えに行くことが当たり前になっていった。

少し休めばケロッとするのもわかっているし、彼なりに頑張っていることも見えてくる。

 

今だけのことだし、別に中学を卒業するまで毎日迎えに行くことも大したことじゃないような気もしてきた。(幼稚園なんか毎日そうだったわけだし)

 

お迎えに来てといったら迎えに行く、それだけじゃないか、と思うようになって来た。

 

心のどこかで、毎日迎えに行くことが次男にとって当たり前になりやしないか、と怯えている自分がいたのも見えてきた。本当にそうなっちゃったらどうしようかねえ、って思っていたら、電話はだんだん鳴らなくなっていって、私のその不安は杞憂に終わってしまった。

 

お迎えに来てもらってもいいじゃないか

連日迎えに行く私に、甘やかしだという身内がいた。

そんなんじゃ大人になって…とくどくどという言葉をハイハイとあしらいながら、ぼんやりと考えた。

大人の私が、毎日どこかに通って頑張っていて、で、歩いて帰るのがしんどい時に「お願い迎えに来て」って誰かに言えるとしたら、それは甘えじゃなくて、幸せなことじゃないかなぁって。

 

そしてふと思い出す、くどくど言ってるその張本人はコンビニに行くのに車を出しているじゃない、飲んだら迎えに来てって家族に言ってるじゃない、ふふふ、自分だって甘えているじゃない。

 

なんで大人になったら甘えてもいいのに、子どもはダメな気持ちになるんだろう。

次男みたいに「お迎えに来て」って言えて、「来てくれてありがとう」って言って、本当にしんどいときだけ甘えられたら、それ「甘やかし」じゃないねえ。

 

子どもの育ちを見守る立場である僕が、こんな風にサボることを肯定したら、それで不安になる人もいるかもしれない。

けれど、ぼくははっきりと言いたい。一個でも十分しんどいよ。みんながしんどくないことでも君がしんどいのならしんどいんだよ。休んでいいんだよ。手を抜いていいんだよ。

苦しみを我慢して厳しくされた分だけ辛抱強くはなるかもしれない。

けれど、その分相手にもその強さを求めてしまうのであれば、自分のしんどさに気づいて誰かに甘えられるほうが、その誰かもまた誰かに甘えていけるほうが、みんながしんどくないんじゃないかな。

 

連日のお迎え要請に私は辟易としてしまっていたけれど、あの時間は彼にとって「SOSを出せば大人が助けてくれる」を感じる機会になったのかもしれないなぁ、と思ったりもするのです。

 

おわりに

次男のお迎え要請はもうほとんどなくなったんだけど、仕事をしながらたまに4時くらいに「あ、今日も鳴らなかったね」って思うことがある。

 

今も2時を過ぎたけど鳴ってなくて、多分、今日も鳴らない。

 

でも、もし鳴ってもいいなぁって今は思う。

彼がSOSを出せるのはとても大事なことだし、それだけ頑張っているんだとわかっているし、帰り道に二人でちょっと話す時間も貴重なものだったりもする。

 

SOSを出すのが苦手だった次男と、SOSを受け取るのが苦手なお母さんだった私が、ちょっとだけ成長したような気がする、2020年の夏の思い出です。

【ご報告】コンビニ振込票未納事件がとりあえず解決したっぽいです

先日Twitterで「困ってます」とお話をして助言をいただいておりました「コンビニ振込票未納事件」(事件というほどではないですが)が先ほどのお電話でとりあえず解決したっぽいので、備忘録兼みんなも気をつけてね!的な意味を込めて記録をまとめておこうと思います。

 

一応予防線はっときますが、今回のやりとりに出てくるコンビニやカード会社の名称を今度も公表するつもりはありません。どこの店でもどこの会社でも起こりうることだと思うし、どこが悪いかという話がしたいわけじゃないし、攻撃をしたいわけでもして欲しいわけでもないからです。電話口でも謝罪していただいてますし、これ以上やりとりをしたいわけでもありません。

管理の甘い自分を戒めるため、そして「みんなも気をつけてね、レシートと控は捨てちゃダメだよ!」と言いたいだけのエントリと思っていただけたらと思います。

 

 

「料金が未納になっています」

発覚は9月10日、カード会社からの電話でした。

「先月分の利用料金が未納になっています。」というご連絡。

 

慌ててカバンの中に保管してたコンビニ振込の控えを引っ張り出しました。

 

先月末の引き落としの口座管理でミスっていて引き落としがうまくいっていなかったのでハガキタイプの振込票が届いたのが9月の1週目の週末くらいだったと記憶しています。

 

振込票を使ってコンビニで振込をしたのが8日の朝。

ここでなくし物大王の私が奇跡的に依頼人控えとレシートを保管しておいたのが今回の騒動を解決に持っていける大きな鍵となりました。

 

「振込票とレシートが手元にあります」

電話口のカード会社担当者に確かに入金した証拠が手元にあることを伝えると

「レジを通っているのなら数時間でこちらに通知が来るはずなのにそれがきていない」

「コンビニに確認してもらって」

と言われたので、指示通りコンビニの店舗に電話を入れました。

のちにTwitterでいただいたアドバイスに寄るとこの時点で「控えは手元にあるんだからあとはそちらでやりとりしてくれ」と投げても良かったのかもしれないなぁと思いますが、この段階ではそんなことわからずとにかく電話しないと!と思って連絡を入れました。

 

迷走するコンビニとのやりとり

コンビニに電話し、店員さんらしい方にことの詳細を伝えました。

店員さんから「確認して折り返します」とお返事をいただき、しばらくして着信。

 

「レジは確かに通ってますね」

とのこと。

 

 そこで電話を切られそうになったので

「カード会社から通知が何もきてない、と言われているのですが、レジを通ったとして、その先の先方に情報が行くまでの段階が滞りなく行われているかはそちらのコンビニさん側でしかわからないと思うのですが、それは確認していただいてますか?」

と尋ねると答えはNO。

 

「手元にあるレシートと依頼人控を持ってきてもらったらもっと調べられるけど」

と言われたので

「これは私が確かに支払ったという唯一の証拠なので、そちらにお渡ししたらそれを証明できなくなってしまいませんか?」

と答えると、うーんと困っている様子。

「店舗の控やレジの記録はそちらにあるんですよね?」

と尋ねたらそれはある、とのことでした。

 

とりあえず調べてまた連絡します、と言われたので少し待ってみたのですが、やりとりがイマイチ不安だったのでコンビニのホームページから本部のカスタマーセンターと思しき番号に連絡し、ことの経緯をお話しさせていただきました。

 

カスタマーセンターの方に店舗名なども伝え、確認して連絡します、とお返事がありました。

 

ここまでのやりとりが、10日午前中のことです。

 

悶々と連絡を待った、午後、そして

返事待ちの時間、仕事をしながらも悶々とした状態。

 

何か気をつけることがあれば…とTwitterでこんな相談を持ちかけたりしておりました。

このツイートへのリプライで

依頼人控とレシートをセットで保管しとくのがとにかく大事】

というのを痛感した感じです。

控だけならハンコを押したまま店員が着服、ということもあり得るようです。

レシートを取っておいたのが何より良い、というリプライもいただきました。

レシート=レジを確実に通した、という証明になるのだそうです。

 

皆さんとやりとりをしながら悶々と連絡を待った午後。

カスタマーセンターに連絡するなら5時がデッドかなぁ、と思いつつ、連絡がない…

 

 どうしようかと迷っていたら「とりあえず連絡してみなよ!」って友人も背中を押してくれたのでコンビニのカスタマーセンターに電話してみました。

 

カスタマーセンターの電話口で「連絡を待ってたんだけど…」と聞いてみると「調べます」と担当の方。

保留あけにちょっと驚いた感じの声で「担当者に連絡を入れるように、という指示が出ているのですが、まだご連絡がないということですよね?」と。

そうですね、とお返事すると慌てて「すぐ連絡をいれさせますので電話を切って少しお待ちください」とのことでした。

 

コンビニ店舗より着信と報告→カード会社へ報告

電話を切って数分後、着信がありました。

電話番号はコンビニ店舗のもの。

「8日に確かにお客様からの入金を確認しています」

「9日朝9時に本部からカード会社へデータが飛んでいるという記録が確認できました」

とのことでした。

 

担当者の方のお名前などを伺った上で、カード会社の方へ連絡。

店舗よりそのような説明があったことを伝え、とりあえず私の入金に関してはコンビニでも確認が取れたと言っているのであとはそちら(カード会社とコンビニ本部)で話してください、とお願いして電話を切りました。

 

ここまでが9月10日のお話です。

 

ぼんやり待った、1週間

私の支払いは確認されたので終わった!とその日は気持ち良くビールで乾杯をした9月10日。

(そうやって精算しないとずっと気になって色々回らなくなる不出来な脳みそを持っておりますもので)

 

丸々1週間、気にせず暮らしておりました。

が、そっちで話してと投げたとはいえ、まだ解決をしているわけじゃないわけで、どうなったかの連絡くらいくれるだろうと思ってはいました、頭のどっかしらで。

 

どこからもなんの連絡もなかった1週間を経て、ふとカード会社のネット上のマイページ的なところを開いてみました。

 

ページの内容を確認するに、どうもまだ「私が支払ってない」という状態で止まってます。

どうしようかな〜と思いつつ、悶々と長引くのも嫌なのでカード会社の方へ連絡を入れてみました。

9月16日のことです。

 

カード会社に問い合わせてみたら

カード会社に連絡して個人情報を調べてもらったら、担当の方から「コンビニの件ですか」とお返事。

そうです、10日に話して以来なにもやりとりがないままネット上ではまだ未納の状態になっているので、とお話をしました。

 

確認してもらったら、コンビニの方に打診をしているけれど返事がない状態のようで、また確認してご連絡します。とのことでした。

 

そして2日後の今日、お返事がありました。

 

内容は

「コンビニ店舗のシステムの不具合で速報データが送れていなかった」

とコンビニ側から返答があった、とのことでした。

 

カード会社の方によると、速報というのはレジをとして3時間くらいでカード会社に入金があったという情報が送られる仕組みのようです。

 

10日の段階で私はコンビニ店舗の方から「9日朝9時に本部からカード会社へデータが飛んでいる」と言われていけれどそれとは違う話なのか、と聞いてみましたが、コンビニからは店舗のシステム不具合というお返事だけがきている、とのことでした。

 

とりあえず店舗側からも私が入金をしたという事実が確認できたことを受けて、カード会社としても入金がされたということで処理し、カードは使える状態になっています、とのこと。

これ以上私にできることはないし不都合はなくなったので、とりあえず私のところでの決着は見た、という状態かな、という感じです。

 

おわりに

結局のところどこがどうとかは私にはよくわからないし、きっと明らかになることはないだろうなぁとは思うので、ここから先の真相についてはあまり気にしていません。

 

また、そもそも私が口座の管理をちゃんとしとけば防げたことではあるので今後気を付けないとなぁと曇り空を見上げながら反省している次第です。

 

今回のことで私がみなさんにお伝えできるのはこれだけだなぁと思うこと。

それはやっぱり

【コンビニ振込したら依頼人控とレシートはセットで保管して!】

ということかなぁと思います。

少なくとも先方が入金確認を取るまでは手元に絶対置いといたほうがいい!

 

ズボラでなくし物大王の私が今回奇跡的にとっておけたのは、カバンの中に百均で買った派手な色のクリアポーチを一つ入れていて、その中にレシートをバカバカ入れていたからです。

 

しばらく置いといて、暇なときに整理して処分したりしてました。

 

ポーチに入れていなければ私は絶対無くしていたし、無くしていたら支払った証明もできないので泣く泣く全額再入金するしかなかったと思います。

 

本当に、とっておいて良かった!!!

みんなも気をつけてね!

不登校と勉強のモチベーションのこと。

わんこの話題が続きましたが、今日は三男を通して考えた、不登校とお勉強の関係のこと。

 

 

「勉強が遅れる」という(親の)強い不安

現在小4の三男が完全不登校になって3ヶ月。

当初私が一番心配したのが「学習の遅れ」でした。

 

学校に通えるようになったときについていけなかったらどうしよう。

4年生の履修内容が理解できないことで将来的につまずいたらどうしよう。

 

もし三男が一人っ子や長子なら、もしくは親として初めての不登校経験なら。

私はお休みの間もなんとか三男に遅れを取らないよう学び続けさせねば、と躍起になっていたと思います。

 

それくらい、学習の遅れは不登校児を抱える親にとってもっとも大きな不安要素かもしれません。

 

私が今回そこまで強い不安にとらわれずに済んだのは初めての経験じゃなかったから。

同じく4年生で学校にいけない時期や教室に入れない時期があった長男が目の前で立派に志望の高校に楽しく通っているから。

 

今回も不安は波のように何度か襲ってきているけれど、その度に長男の時のことを思い出しながら「ここでぐっとこらえて支えたら絶対大丈夫」と呪文のように唱えてやり過ごしています。

 

大丈夫、とは言っても。

とは言っても、やはり他の子が1日6時間びっしり授業を受けているだろう時期に十分とは言えない学習量とゲームや動画やアニメ三昧の三男。

 

今、三男の学習は不定期に通っている適応指導教室での自習と、週1回の家庭教師(次男の学習支援の先生にお願いできました)のみです。

 

学校に行きたくなったときに何もわかんないと困るから最低これだけはしといたらどうかな、という打診のもと、それさえやるなら日中の過ごし方には口を出さない、という契約を締結して今に至っています。

 

家でゴロゴロしながら動画を見ている三男を眺める私の心中は、正直常に穏やかとは言えません。

「このままでいいんだろうか…」という不安に襲われることもしばしば。

 

不安と「絶対大丈夫」という呪文とを波のように繰り返す中で悶々と考えていたこと、それが「彼にとって学ぶモチベーション、なくない?」ということでした。

 

小学生にとっての学びのモチベーション

「なんで勉強しないといけないの」と子供に問われたら、みたいな話、よく出るじゃないですか。

(そう言えばそんなエントリを書いたこともあったなと思い出したら6年も前でした)

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改めて読み返して、そうか、4年の頃の長男は夏休みの宿題の途中でこんなこと言ってたんだなぁと懐かしくなっております。

 

三男は「なんで勉強しなくちゃいけないの?」とはまだ言っていませんが、心の中で思ったことはあるんじゃないかな。

 

このエントリのブコメでもいろんな「勉強する理由」が論じられているけれど、じゃあ4年生の長男に、三男に、それを理解して邁進することができたかな、できるかな、っていうと、そんなの無理よなぁと思うんですよ。

 

例えば宿題に特化して考えると、小学校の、特に低学年〜中学年くらいの子たちにとってのモチベーションって

 

「終わらせたらアニメみれる(ゲームできる)」

「やらないとお母さん(お父さん)がうるさい」

「はなまるが5回続いたら1回おやすみ券がもらえる」

「きれいに書いて先生に褒められたらうれしい」

「宿題忘れ、のところに名前を貼られたくない」

「やり直しさせられるのがめんどくさい」

 

とか、そんなもんなんですよね。

 

「この宿題に取り組むことにより知識を得、自由を手にするために僕は学ぶ」なんていう崇高な考えを持ってやってる子もいるかもしれないけれど、多分とても少数だと思う。

 

とりあえずうちの子やうちの子の周りにいる多くの子たちが毎日宿題に取り組んでる理由ってこんなんだなぁと思うんですね。

 

大人しく座って授業を受けるのも多分似たようなもので

 

「先生の話が面白い」

「授業態度がいいとほめられたら嬉しい」

「授業態度よしのシールを貯めたい」

「うるさくして注意されるのがイヤ」

「あとで呼び出されるのがめんどくさい」

 

とかそんなもんだと思われ。

 

その程度の狭い視野と近い見通ししかない状態で学習してるような年齢の三男。

 

行きたくない学校とほめられたいと思ってない先生…

自宅ではやらないといけない仕組みの中にいない状態…

 

そりゃモチベーションも上がらんわなぁ、と。

 

家で私がモチベーションを保つためにどんどん働きかける、というのも手かもしれないけど、家庭はがっつり安全基地にしたい私にとってそれは避けたい選択肢。

 

というわけで家庭教師の先生とお勉強がんばったらアイス食べようとか、漢字覚えたらマック行こうとか、小さなご褒美でモチベーションをそれなりに保ちながら低空飛行を続けている感じです。

 

おわりに

今回改めて「勉強させないと」の不安を掘り下げながら、あぁこれは私の課題だなぁ、と痛感しています。

「三男のため」という皮を被った私の不安、私の問題。

 

思い出すのは長男の4年生の頃。

不登校の状態を受け入れきれず彼にはかなり辛い思いをさせてしまったなぁと思うのです。

 

長男と2人、わんこの散歩をしながらポツポツと三男のことを相談することがあります。

「自分の未熟さで君をかなり傷つけた」と謝る私に、フフンと鼻で笑う長男。

 

三男がいつか長男のように外に歩き出す、と私が信じていられるのは、並走してくれる家族がいるからかもしれないなぁと、ぼんやり考えたりしています。

わんこがくれた考えるテーマ②「子の思春期を並走する」

わんこがやって来てはや1ヶ月。

保護犬としてかなり警戒心の強い彼は1ヶ月経った今も物音にビクッとし、家族に対しても警戒している状態。

でもすこーしずつ周りに興味を持ったり、名前を呼ぶと顔を上げたり、小さな変化に家族で大喜びする毎日を送っております。

 

さて、前回はわんこの講習を通して考えた「良き親であるということ」について書きました。

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今回は、わんことの暮らしを通して考えた、思春期の子どもたちとの暮らし方のこと。

 

「思春期の子がいるお家は、犬飼うといいらしね」

わんこを引き取って数日経ったくらいでしょうか。

お友達にそのことを話したらこんなことを言われました。

「思春期の子がいるお家は、犬を飼うといいらしいね」

 

そのときは何でか深くは話さないまま終わってしまったのですが、なんとなく印象に残っていました。

 

ブログを書くにあたってググって見たら「思春期は(中略)8歳頃から17、18歳頃までの時期に相当」と書かれていました。

なるほど、我が家のお子さんたち(9歳の三男から16歳の長男まで)は思春期真っ盛り。

 

なんとなく印象に残っていたわんこと思春期の関係、一緒に暮らす中でどういう意味なのかな〜と考える毎日が始まりました。

 

わんこと思春期の関係① お散歩

わんこがやって来てからの劇的な変化のひとつが、朝晩の散歩でした。

 

うちに来た柴犬、元々の性質もあるだろうし保護されるまでしつけもされていないようなのでトイレシートでのトイレができない状態です。

つまり、排泄は全て外。

 

本当なら老後のことを考えてトイレシートでするよう訓練した方が良いというのはわかっているのですが、まだ信頼関係もできていない状態だし、年齢(10歳いってるかも、と獣医さんに言われました)を考えても無理強いをするのは控えたい。

 

というわけでとりあえず当面は外でのトイレを前提に暮らそう、ということになりました。

 

柴犬の性格上、自分の住まいとみなしたところでは絶対に排泄をしません。

散歩で外に出るまで何時間でもじっとトイレを我慢しているので、朝晩の散歩は欠かせない日課となりました。

 

余談ですが、どんなお天気の時でも欠かせないので、先日の台風10号の時は暴風が少しおさまるタイミングを見計らって風雨に晒されながら散歩しました…

 

さて、そんな日課となったお散歩。

ちょうど夏休みの時期ということもあって、子どもたちもついて来たいと熱望し、ぞろぞろと家族総出のおでかけになることも多くありました。

 

前に飼っていた犬は体格が大きくてまだ小さかった下の子たちはリードを持ったこともなかったくらい。

今度のわんこは小型で力もそう強くないので、子どもたちも自分が自分がと交代でリードの取り合いです。

 

「散歩に行くよ〜」と私が声をかけたら、その時家にいて暇なのがぞろぞろついて来ます。

 

お兄たちはポケモンGOドラクエウォークのついででもあるみたい。

 

中高生になって一緒にお出かけ、というのもほとんどなくなっていたのに、わんこが来てくれたおかげでそれぞれの子達と私の二人きりで散歩、なんていう贅沢な時間を過ごせることも。

 

家ではなかなか二人で話す時間も取りづらくなっていく時期に、わんこを挟んで一緒に歩きながら学校のことや彼女のこと、将来のこと、ちょこちょこと会話したりして、なんか良い感じです。

 

わんこと思春期の関係② 一緒に面倒を見る仲間

わんこが来てからのもう一つの変化が、関係性の変化です。

これまでは親であるオットと私、そして子である子どもたち、という構成の我が家。

4人の子どもたちの間でそれぞれに、お兄ちゃんと弟とか、微妙な関係性はあったものの、子どもたちの中では自分たちは「お世話されるもの、育てられるもの、面倒を見られるもの」という感覚だったと思います。

 

それが、わんこが来てから「お世話するもの」の存在が登場した。

子どもたちにとっては大きな変化だったと思います。

 

これまで魚類や両生類爬虫類は飼って来たものの、お世話といってもそれほど丁寧にしているでもない子どもたちなのですが、相手が哺乳類となると「ほっといて死んじゃった」というわけにはいかない気持ちになるのかもしれません。

 

愛らしい外見と動きでお世話したい気持ちになる、というのもあるかも。

とにかく何かしてあげたい、自分に懐いてほしい、そんな気持ちになったらしい子どもたちは、それぞれのスタンスでわんこに接しようとします。

 

エサを用意して食べさせたり、散歩に行ったり、どんな風に接したら怖がらないか相談したり。

 

中高と進学してそれぞれ外で過ごす時間や自室にこもる時間が増えつつあった中で、わんこがやって来たことでわんこのいるダイニングに自然と集まる子どもたち。

 

これまでは面倒を見る親と見られる子ども、という関係性だった我が家。

それが、わんこを中心にして「お世話する仲間」になっているような気がしています。

 

予期せぬ副産物ですが、兄弟喧嘩も「わんこがびっくりするから」という理由でかなり減りました。

 

わんこのおかげで、なんとなくみんながちょっとずつ優しく、そしてちょっとずつ繋がりが深まった、そんな感じがしています。

 

おわりに

文頭の友人の言葉の本当の意味するところは結局よくはわからないけれど、我が家なりの結論として「思春期の子がいる我が家にわんこが来てくれてよかった」と思っています。

 

子どもたちにとって「お世話するもの」となってくれたわんこ。

でも私にとってはなんとなく「子の思春期を一緒に並走してくれる仲間」が増えたような気がしています。

 

我が家に来てくれたわんこと、これからまたどんな風に並走していけるのか、ワクワクするスズコ42歳の秋です。

わんこがくれた考えるテーマ①「良き飼い主である」ことと「良き親である」ということ

前回、我が家に待望のわんこがやってきたことを書きました。

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 今日は、保護犬を引き取るために受けた講習の中で印象的だったことを。

 

 

 

センターで受けた講習

私が譲渡会に参加したセンターでは、譲渡会に参加するために事前講習を受ける仕組みになっていました。

子どもたちと一緒に受講したのですが、1時間ほどの講習の中ではペットに関する法律や条例(その時のこともそういえばブログに書きましたね)や、ペットにまつわるお金の問題などについて詳しく説明を受けました。

 

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 その講習の中で「しつけ」についてもお話がありました。

 

「室内飼いの犬がゴミ箱をあさったとしたら、どうすればいいと思いますか?」

と問う講師。

「叱る?ちがいます。ゴミ箱を触られたくないなら、まずゴミ箱を触れる場所に置かないことです。」

 

この時点で私の中で

「構造化!構造化ですね…!」

とかなりの盛り上がりを見せました。

 

「構造化」というのは特別支援の必要な子供達に対する接し方のひとつ。

ざっくりですが、いちいち指示しなくても子どもが自分で動いたり取り組んだりしやすい環境を作ること。

 

子育ての場面でも危ないものを触らないようにいちいち声かけをするより、まずそれに触れない環境を作る方が対応がスムーズにいったりしますよね。

犬相手でも同じなんだなぁ、と思いながらお話を聞きました。

 

それでも叱らないといけないときに

構造化をしても叱らなくてはならない場面は当然出てきますよね。

犬に対しては「その場ですぐ叱る」が鉄則だというのはよく言われているのですが、講習の中ではさらに突っ込んだ指摘がありました。

 

叱る、と言うことは犬にとって不快な行為。

それを聞き入れるかどうか、というのは信頼関係にかかっています。

 

「この人の言うことを聞きたい、と犬が思うような飼い主になってください」

 

その犬からの信頼を勝ち取っていなければ、どんな指導も犬には入らない。

しつけをしよう、と思うならまずは、自分から。

犬が指示を聞きたい、この人に好かれたい、と思うような飼い主としての振る舞いを。

 

「この人の言うことを聞きたい」

お話を聞いて、あぁこれは子育てと同じだなぁと我が身を振り返っています。

 

「この飼い主の言うことなら聞いてもいい」と犬に思ってもらえる飼い主に。

これを親子の関係に当てはめるなら

「この親の話なら、言うことなら、耳を傾けてもいい」と子どもたちが思うような親に。

 

子供がいうことを聞かない、と憤る前に、話を聞いてもいいと思ってもらえているのかどうかを振り返る。あぁ耳が痛い。

 

でも確かにそうだなぁと思うのです。

思春期を迎えた子どもたち、家の中でいつも上機嫌なわけではありません。

それでも親として話さねばならないことがある、話を聞かせてもらわないといけないこともある。

 

自分が子どもだった頃、大人なら誰の話も聞いただろうか。

どんな大人も信頼してただろうか。

 

否、とんでもない。

 

こいつの言うことなんか聞くものか、と思っていた先生がいた。

どうせちゃんと話を聞いてくれない、と親に対して思っていた。

 

そんな大人から何を指導されても注意されても指示されても、気持ち良くなんて聞けなかった。

 

そしてごくごく一部の大人に対して

「この人の話なら聞いてもいい」

「この人になら話してもいい」

と思っていたような気がする。

残念ながら私にとってそれは親ではなかったのだけど。

 

親なんだから、と踏ん反り返っていたら子どもは話なんか聞いてくれない。

伝えたいことも耳に入れてくれない。

 

まず、話を聞いてもいいと思われるような親に。

この人の忠告なら耳を傾けてもいいと思われるような親に。

 

私は子どもたちにそう思われるような親であるんだろうか。

 

我が家にやってきたわんこ。

わんこがもたらしてくれた最初のテーマはこの親としての自分を振り返ることでした。

 

今度は、わんこがもたらしてくれた2つ目のテーマ、思春期男子との贅沢な時間について書いてみようと思います。

我が家にわんこがやってきました。

台風10号が近づいてきていて戦々恐々としておりますがみなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

さてさて。

相変わらず久しぶりに書いてます。

 

Twitterでは書いていたんですが、先月我が家に新たしい家族を迎えました。

保健所から引き取った老犬柴わんこ(推定10歳くらい)です。

 

実家にいた頃から飼っていたわんこを看取ってから数年間犬不在だった我が家。

子どもたちはずっと子犬が欲しい欲しいと騒いでいたのですが私の容量不足でお断りしている状態でした。

学校に行かなくなった三男がおうちにこもりがちになっていることもあり、わんこをお迎えして外に出る機会を作るのもいいかなぁ…と家族会議を重ねて保護犬を引き取ることに。

 

参加した譲渡会では最初は子犬を希望していた子どもたちでしたが、人気が殺到して抽選になりやすい子犬を引き取るのはなかなか難易度が高い。

抽選に外れてがっかりした帰宅した三男、次の譲渡会で希望したのは子犬ではなくて部屋の片隅でじっとしている怯えた成犬わんこでした。

 

譲渡会のボランティアさんのお話では、人にあまり慣れていないけれど無駄吠えもなくとても大人しい、とのこと。

三男は物静かなそのワンコを連れて帰りたい、と熱望し、お世話の難易度は高そうだけれどみんなで頑張って面倒みようと引き取ることになりました。

 

連れて帰ってケージを用意したけれどなかなか自分からは入らない。

おやつでじわじわ誘導してやっとケージに入ったけれどご飯も食べない。

 

クルンと上に上がった尻尾が特徴の柴犬だけれど、尻尾はずっと警戒して下げたまま。

リードをつけて散歩に出るときだけは尻尾がクルリと上に上がります。

 

道端で保護されて保健所に入っていた子なのだけれど、それまでの10年近くどこで何をしていたのか全くわからないうちのわんこさん。

 

警戒をしてビクビクしているけれど、吠えたり噛んだりもしない。

虐待を受けていた風でもないし、人間に慣れている風でもないので飼われていて逃げ出したというわけでもないのかもしれないなぁとか、でも野良でずっと暮らしていたにしては怪我や大きな病気をした風でもない(歯茎はかなり傷んでる)。

 

どんな暮らしをしていたのかなぁと思いを馳せながら、残りあまり長くないかもしれない余生を我が家でのんびり過ごしてくれたらいいなぁと思いつつ様子を見ているところです。

 

ほぼひと月になりますが、まだ怯えていて家族の立てる音や出した手にもびっくりするわんこさん。

 

家族だと思って親しみを感じてくれる日がくるのかなぁ

家族の顔を見て尻尾を振ってくれる日がくるのかなぁ

 

とても長い時間がかかるだろうし、もしかしたら寿命がくるのが先かもしれない。

 

そんなわんこさんですが、たった1ヶ月の間だけでも我が家に大きな影響を与えてくれています。

ツイッターではちらほら書いてもいますが、犬を飼うというのは育児や教育にも通じるヒントがたくさん。

 

長くなってしまったので一旦ここで締めて、次回からしばらくうちのわんこさんがヒントをくれて考えた、家族のいろんなことを書いていこうと思います。

「それはこちらの課題じゃない(=知ったこっちゃない)」という視点

思考の整理をしにきました。

 

TLで流れてくる「緊急避妊薬市販化」「夫婦別姓」あたりについて悶々と考えている中での話です。

 

ツイッターでズイショさんという白い犬と仲良くさせていただいているんですが、先日こんなことをおっしゃっておりまして

 

 

自分の悶々と考えてたことをスパッと言葉にされたような気がしたんですよね。

 

ズイショさんの指摘するような「お前らの痛みなど知ったこっちゃない」って言い切るの、すごく冷たくて残酷なような気がするじゃないですか。

 

でもそうじゃないな、と思ったの。

「あなたの痛みなど知ったこっちゃない」

というとき、そこに痛みがあることは否定してないんだよね。

 

あなたにはあなたの痛みがあるんだね、そこは否定しないよ、あるんだね、っていう、そこに立ってるからこそ言えることなんだよなぁと思ったのね。

 

なんでこんなことをわざわざ書こうかと思ったのは、さっきこんなのが流れてきたから。

(ツイートをお借りします)

 

こういう、男女を入れ替えて女性の苦しさを理解してもらおう、的なやつはいろんなところで目にするんだけれど、いつももやっとした違和感があって。

 

それがなんか紐解けたような気がするのですね。

 

結論から言うと「無理じゃん」だと思うの。

どんなに立場を入れ替えても、想像してもらっても、現実に緊急避妊薬のお世話になったり、ピルを常用している女性の抱えているものって絶対にわかんないし、それわかってもらう必要あるのかな、って。

 

「私は苦しい」

「私は権利を侵害されている」

 

その当事者からのメッセージを、何かを入れ替えたり表現を変えたりしてこねくり回す必要はないんじゃないか、と思うの。

まっすぐそのままでいい。そこにあるんだもの。

 

そして、その自分たちの、また誰かの苦しみがそこにあることを誰も曲げずかえずそのまま受け取るということは、翻せば別の立場の人たちのそれもそのまま、ということだとも思うの。

 

緊急避妊薬の市販化に【私には理解できないけれど】否定的な人がいる。市販化されることに対する心理的な不安や懸念を持つ人がいる。

 

夫婦別姓が法的に認められることにより婚姻時に同姓か別姓かを選べるようになってしまったらそれにより苦しむ人が出る。それを避けたいと考えている人たちがいる。

 

こういう話に直面すると説得したくなるものなのかもしれない。

「いや、あなたたちのしんどさはこちらに比べれば大したことないんですよ、だからこちら側の主張を認めてもらえれば」と話したくなるのかもしれない。

 

それ、一見平和的な態度に見えるけど、ズイショさんが指摘してるように、自分が被害者サイドに立った状態でやんわり対応しようとしながらも相手のしんどさを完全否定してる、それってどうなの、って。

 

この手の漫画のような「わかってほしい」という話にいつも違和感があったのは、弱者の側に立って反対勢力を説得してあげるように見せていて、実質は相手のしんどさを低く見積もったりゼロカウントしたりしているズルさにモヤモヤしてたんだと思う。

 

これ、ハンディのある子の支援について話し合うときにもやりがちだなぁと思ったりするのです。

 

我が子のハンディについて学校や周囲と話し合っていく中で、自分の子供や自身のしんどさにクローズアップするあまり「みんなはしんどくないだろうけどうちの子しんどいんです、理解してください」っていう話に流れがちだなぁって。

 

でも実際には周りの子達や先生方もそれぞれにしんどさを抱えてる。

 

じゃあそれに忖度して主張を取り下げたりする?それも違う。

 

そっちにはそっちのしんどさはあるよね、でもそれはこちらの課題じゃない(=知ったこっちゃない)

こちらにはこちらのしんどさがあるので、あなたのそれもある前提で、じゃあどうしていこうか、っていう話をしよう。

 

学校との交渉はいつも割とこんなスタンスだったんだけど、ズイショさんのご意見を受けてスッキリ言語化できたような気がする。

 

勢いでダーっと書いてお昼になっちゃったからこれでおしまい。

読み返したりしてないから、あとで読み返してこそっと手直しするかも。

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