スズコ、考える。

ぼちぼち働く4児のははです。

東京都特別支援教室(通級)の課題から通級指導教室や支援のあり方を考える。


先月、こんなエントリを書きました。

suminotiger.hatenadiary.jp

1ヶ月が経ち、ここ数日また同じような「通級が2年で切られてしまう!」というツイートが散見されるようです。私のフォロワーさんやブログを読んでくださったかたが私のツイートやブログへのリンクを含めたリプライで注意喚起をしてくださっているようで、私のところにもいくつか通知が届いている状態です。

 

それらを受けて昨夜寝しなにここから始まる長い長い連続ツイートをしたところでした。

 

今日はこの連ツイを再編集しながら今回の騒動から見えてきた通級指導やその他の支援のあり方についてまとめようと思います。

 

まず、正しい解釈を

本題に先立って再度注意喚起をしておきますが、東京都の特別指導教室の再編案に関しては「2年で放り出される」という話では決してない、ということを重ねて申し上げます。

詳しくは上記の、前回ブログ記事に詳細に記録しているのでご確認いただければと思いますが、あくまでも「通常級での合理的配慮の提供」や「校内委員会を設置して必要な支援の検討やそれを施した際の効果の検証を重ねること」が前提と報告書には記載があります。

 

実際に通級指導教室を利用した経験のある保護者さんで、これらの項目が丁寧に行われた上での通級利用だと感じている方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。

おそらくとても少ないのではないかと思います。私も次男が小3から小学校卒業前まで4年近く通級を利用しましたが、それらしいサポートはほぼありませんでした。

 

現在の東京都の特別支援教室へのニーズの肥大化とそれに伴う教員不足の課題を引き起こしている大きな要素がここにあると思われます。

つまり、大前提となるはずの通常級での合理的配慮が十分に行われることなく「困難があるから通級へ」という流れが存在していること、また、通級に通いながら通常級担任と情報を共有して教室への合理的配慮に生かしたり、通級の成果を校内で検討する機関が十分に機能していないため、漠然と長期間利用するケースが多発してリソースを食っていることなどが問題視されているようです。

 

今回話題になっている指針ではこれまで学校内で軽視されてきたその一番大事な部分をちゃんとやりなさいよ、ということがきっちり書かれています。

 

年数の縛りに目が向いてしまうことでこの部分が見捨てられてしまうことはとても惜しいと思います。

 

実際に学校の先生から「2年しか使えないから」という説明を受けたという声も寄せられています。先生方の中でも十分な理解が進まないままで運用が始まるのは非常に危険です。

通常級での合理的配慮の提供や校内委員会の設置は学校の負担も大きく、管理職や現場の先生方としても進んで取り入れたいものではない可能性も高いです。

年数の縛りに保護者が囚われて本質を見失ってしまうことで、本来お墨付きをいただいて大手を振って求められるようになったはずの通常級での合理的配慮や校内委員会の設置というとてもありがたい支援が遠のく可能性があります。年数よりも、そのリスクの方が大きいと私は懸念しています。

 

先生方が無知のまま運用が始まるとしたら、保護者が適切な知識を身につけ、報告書の内容を根拠に支援を求めることが必要になってしまう。危惧していたことですがやはり現実はそういう方向に動き始めているようです。

 

「通級指導が終わる」という不安に襲われた私の話

さて、本題に入りましょう。

今回の騒動で「通級指導が切られてしまう」という動揺が保護者の間に大きく広がるのを見ながら思い出したことがあります。

次男が小4の時に、私はまさにその経験をしたからです。

 

小3で診断を受けた次男、通級指導教室の利用が始まったのはそのすぐ後のことでした。

在籍校には通級指導教室がなかったため、設置されている近隣の大規模校へ親子で週1回1時間、通っていました。(他校通級と呼ばれる方法です)

当時の私と次男にとって、通級指導教室の先生は初めて出会った本物の支援者だった、といま振り返って思います。

在籍校では特別支援コーディネーターという立場の先生はいたものの教室で十分な支援をいただける状況ではなく、合理的配慮という言葉すら誰も知りませんでした。

決まった曜日の午後、在籍校に次男を迎えに行って一緒に通級のある学校へ行き、次男はソーシャルスキルのトレーニングや書字の指導などその時々困っていることについて指導を受けます。訓練そのものというより、何をしても叱られずうまくできたら一つずつ見逃さずに褒められることの方が大きな目的となっていたような気がします。

 私はその間衝立の向こうでその様子を伺いながら待機し、終了後に先生とお話をさせていただいてから一緒に下校、という流れでした。

 

私にとっては次男の困難について初めてこちらを否定せずにゆっくり話を聞いてくれる人との出会いであり、次男にとってはこれまで適切な対応を受けてこなかったことでボロボロだった自己肯定感を取り戻す時間になっていたと思います。

 

次男が小4になって少し経った頃、担当の先生から「次男くんはもう大丈夫だから通常級だけで頑張ってみませんか。他にも希望者がたくさんいるので」というお話をいただきました。

数少ない通級指導の枠に希望者がどんどん殺到していることは私も知っていました。

次男の枠を空けてあげることで次のニーズが埋められる、と頭ではわかっていたのですが、当時の私にはその先生の提案に対し、首を縦に振ることはできませんでした。

衝動的に「無理!まだ無理!」という不安が襲ってきたのです。

 

当時の次男は、取り出しの通級指導教室ではとても穏やかに学ぶことができていました。先生が通級卒業の判断をするのもわかるほど、通級の教室では困難が薄れていたのは確かです。

でも、教室では日々トラブルが多発していました。

授業中の立ち歩きも無くなっていなかったし、お喋りが止まらなくなることも、ほかのお子さんとの喧嘩も、とてもゼロに近づいているとは言えない状況でした。

病院からも通級からも「在籍級の先生に環境調整をしてもらって」と何度も言われますが担任にそれを求めては渋い顔をされ、の繰り返し。

通級指導教室に繋がっていることが私にとっては唯一の支援、支えと言えるものでした。

 

次男よりも私の方が「今ここと切れたらやっていけない!」と強く思ったんじゃないかと思います。先生に頼み込んでなんとか延長してもらい、そのままズルズルと小学校卒業の少し前まで通級指導教室に通わせてもらっていました。

 

通級卒業の少し前から、通級に通うお母さんたちの座談会を始めました。

私が通級指導の後に先生と話す時間に救われてきた経験から「話すことが大事なんじゃないか」と思えてきたからです。先生に協力してもらって他の保護者さんにお声かけをして場を設け、通級の親の会のようなことを始めました。

 

今もその活動は細々と続けています。

 

必要なのは通級指導だったんだろうか、という疑問

当時の不安に囚われた自分を振り返ったとき、本当に必要なのは通級指導だったんだろうか、というのはやはり疑問が残るところではあるのです。

 

あの頃の私に必要だったのは次男を育てていく不安を分かち合ってくれる場や話を聞いてくれる方だったように思います。

あの頃の次男に必要だったのは通常級で合理的配慮を適切に施してくれる環境とそれへのサポートだったように思うのです。

 

私たちはそれを通級指導教室のみに求めていました。

しかし、それは「通常級のみで合理的配慮の提供を受けながら通学することを目指して必要なサポートをする」という通級指導教室の本来のあり方からははみ出してしまうものです。

 

私が「通級が終わってしまう」という不安に襲われた理由はそこにあったのではないか、と思います。

つまり、次男と私に関するサポートの大部分を通級に求めていたから無くなってしまっては困る!とパニクったんだろうと思うのです。

 

今になって思えば、私には親の会などのピアな仲間や保護者としての声を聞いてくれる支援者が、次男には通常級での合理的配慮を求めるために必要な校内チームやスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、相談支援専門員など通常級で必要な支援について助言をくれる専門家などの支援者が、それぞれに必要でした。

 

しかしながら当時の私たちには知識もなく、学校にそれを求めることもできなかったし、対応してくれる支援者との繋がりは持てなかった。それが私たちが通ってきた現実でした。

 

足りない支援と通級だのみの現状

先月のエントリでは私は

東京都の通級指導に関しては年数の縛りに囚われて本質を見失わないよう、適切な知識を身につけて通常級で合理的配慮を受けるための交渉の材料に

と呼びかけました。

 

いち保護者として我が子を守るためにはそうせざるを得ない現状があると思います。

 

が、全体を俯瞰してこの問題を考えたとき、通級指導単体の課題ではないということもまた同時に見えてきます。

 

私の目につくところでも、通級がなくなってしまったら困る!と動揺している保護者の声がたくさん上がっていました。それだけ、通級指導がその方やお子さんにとって大きな支えになっているということがわかります。

 

しかし、それは「通級がとても有益なものだから」という理由だけではないような気がするのです。

私と同じように、通常級担任に安心して任せられない、通級以外のよすがを持たない、他に頼る先がない、という、通級そのものではない事情が潜んでいるケースも少なからずあるのではないでしょうか。

 

当時の私がたどり着けなかったように、通級以外の頼る先を持たずに、崖っぷちで通級という岩になんとかしがみついている状態の親子が、私たちの他にもいるのではないか、と「通級が続けられなくなる!」という悲痛な叫びを見ていて感じます。

 

もし、今回の件で「通級が続けられなくなったらどうしよう」と不安が募る親御さんがおられたら、一度考えてみて欲しいのです。

 

通級以外の頼る先はありますか?

通常級で安心して過ごすために支えてくれる人たちが通級担当の先生以外にいますか?

 

私が通級以外の支援先を勧める理由

なぜ私がこんなふうに「通級以外の頼る先」「通常級で過ごすための支援」を勧めるのか、についてお話しします。

 

それを紐解く鍵は、いま高校に通う次男にあります。

彼の通う高校には通級指導教室はありません(通級のある学校も稀ですがあります)し、支援級もないので、彼は現在通常級以外の居場所はない状態で学校生活を送っています。(中学にも通級はない地域だったので中学校からそうなのですが)

 

小学校や中学では広がりつつある通級指導ですが、中学でもまだ全国的ではなく、また高校ではない学校の方が多いのが現状です。

 

そして、その高校の向こう、大学や就業先では当たり前ですが、通級指導の先生はいません。

 

しかし、それらの場所で彼らは何の支援もなく頑張らねばならないわけではありません。障害者差別解消法の施行により「合理的配慮を受けながら」学業や仕事に邁進することができる仕組みがもう出来上がっています。

 

発達障害のある子(人)にとって、学校や職場に求める合理的配慮の内容を固めるのは簡単なことではありません。育てている親でも「この子はこれが必要ですからこうしてください」とサクッと言えない難しさがあります。

成長段階やその時の環境によっても変わってくるし、とにかく現場でやってみて合う合わないを試していくしかない。トライアル&エラーの連続です。

やってみたしっくりくるやり方を「自分のやり方」として身につけていったり、「こういう配慮をしてほしい」と公言できる材料にしていったり、とにかく場数を踏んで積み重ねていくしかない。

 

そんな子たちが通級指導のない中学、高校、また社会に出ていく過程の中で自分に必要な合理的配慮を見定めていく何よりの機会が「通常級での合理的配慮の提供」です。

取り出された特殊な環境下での通級指導教室では個別の訓練はできても、自分に必要な合理的配慮がどんなものかを試していく機会にはどうしても限界があります。

 

こんな支援があれば自分はイキイキと学べる・働ける、と進む先で主張するための材料として、通常級での合理的配慮の提供の経験は欠かすことができない大事な要素なのです。

 

そしてそのためには、通常級担任を含む在籍校の校内委員会やチーム会議の協力が不可欠になります。通級の担当教員がどれだけ尽力をしても現場で試してくれなければ実績は詰めないのです。

 

次男は、高校でやっとその協力体制に辿り着き、いま少しずつ教室での対応を進めているところです。対応する中で、もっと前から教室での合理的配慮が試していけていたら今こんなに苦労しなかったのに、という本音が出そうになります。それくらい、積み重ねた実績のない状態・小中の教室での不適切な対応で傷を負った状態での思春期からのスタートは大変なのが現状です。

 

おわりに

子どもたちの未来に、通級指導教室は並走してくれません。

通級指導はあくまでも期間限定の、集団の中での生活に適応するための一時的な訓練でしかありません。それ以上の力を持たない場にそれ以上のサポートを求めることで保護者も現場の先生方もアップアップになっているのが現状ではないでしょうか。

 

進んでいく未来には通級指導教室はありませんが、合理的配慮の提供実績は中学へ、高校へ、就業先へと引き継がれていきます。子どもたちを支える大事な材料になってくれるものです。

 

今、そこがなおざりになってしまっているのはとても残念です。

そして、東京都の今回の特別支援教室再編の内容は、そのなおざりになっている「通常級での合理的配慮提供の徹底」を現場に根付かせるための交渉を後押しする力を持っているものだと私は考えています。

また、東京都の事例があるというのを理由に、他の道府県でも学校への協力を強く求めるための材料にできるだろうとも思います。

 

予算がない、人が割けない、いろんな理由が目の前に立ちはだかるかもしれません。

しかし、私たちがニーズを言葉にしていかないと、求めていかないと、そのニーズがあることすら認識してもらえませんし、先輩たちがそうやって求めてきたからこそ今の支援があるのもまた、事実です。

 

通常級での合理的配慮の提供のためには、先生方のご尽力が欠かせませんし、相談支援事業やスクールカウンセラーなど複数の支援者の助けがあればもっとスムーズになると思います。

 

長くなりましたが、そろそろ終わりにしましょう。

 

今回の東京都の特別支援教室(通級指導)の問題を考えるとき、私が経験してきたようにな「通級指導の先生の他に頼る先が乏しい」という現実について併せて考える必要があろうかと思います。

 

現状、それらが簡単に手に入るような状況ではないから、かろうじて繋がることができる通級指導に頼るところが大きくなりすぎる側面があるのかもしれない。

 

しかし、記してきたような将来に向けてのリスクを考えるとやはり、通常級の合理的配慮の提供の重要性は現場の先生方にも、また保護者や当事者である児童生徒にも、大切に考えていただきたいことだと思います。

 

通級指導のあり方を考えるとき、この「支援先の乏しさ」と「通常級での合理的配慮実績の重要性」について併せて考えていくことが必要だと重ねて記し、長いエントリを終わりたいと思います。

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